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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
約50年前に、父と母は、土地を購入し、ずっと二人が望んでいたマイホームを建てた。
父の和夫は、現在の山形南高校(当時は山形二中)に通っていた時に、山形警察署長だった祖父の萬五郎を亡くし、借家住まいから奨学金によって山形大学を卒業する。
大学生の時に出会った、鹿野彦吉衆議院議員(後の経企庁長官)の公設秘書となり、東京と山形を行ったり来たりしながら、将来の夢・政治家を志した。
大野伴睦先生の「分甘共苦」、福田赳夫先生の「一志如鉄」の言葉を、生涯の政治信条、座右の銘とした。
鹿野彦吉氏は、福田赳夫氏の盟友で、父は「清和会」の秘書会の会長などを務めた。
宮城県牡鹿郡女川町の出島の出身の母静子との新婚生活は、東京の三軒茶屋のお店(たぶんお菓子屋さんと記憶している)の2階の一室。
三軒茶屋産婦人科で、自分は産まれた。
父29歳、母24歳。
2歳の時、自分が脊髄膜炎という病気になり、東大医学部病院に入院し、主治医の平山先生のアドバイスにより、空気の綺麗なところに住んだ方が良いとなり、父の故郷の山形へ引っ越す。
父と母は、今でいう週末婚で、父が土曜日の夜に山形の我が家に帰り、日曜日の夜に東京へ戻るという生活を、本人が39歳で山形県議会議員へ当選するまでの10年間続いた。
それまで、ずっと借家住まいの父と母。
特に母は、自分の持ち家が欲しかったと言い、あさひ町の土地を求め、二人にとって初めての生涯の自分達の家を持ち、自分と弟の和武を育ててくれたのである。
父が、山形市長選挙に挑み続けた拠点でもあり、多くの方々が来訪する家でもあった。
自分の長男の和康は、この家で生まれた初めての子である。

今年の5月7日に、里之宮湯殿山神社の渋谷宮司より、報恩感謝の儀と安全祈願祭を執り行っていただき、思い出が詰まった家を取り壊していただいた。
そして、11月1日(土)に、父、自分と続く土地に、長男の和康が家を建てるために、地鎮祭と起工式を行い、渋谷宮司より祈願していただいたのである。


この場所には、様々な思いがある。
どの家にも、歴史がある。
父が亡くなって、弟も家を建て独立し、母は自分の家の隣に部屋を増築し、移り住んだ。
その後、この場所は、10年間、誰も住まない家としてそのままになっていたのである。
そこに、この度、息子の和康が自宅を建てることとなったのである。



この日は、市村工務店の市村清勝会長と今野雄貴社長など関係者が揃い、鍬入れの儀式などを行った。
多くの皆さんのお力添えに、心より感謝申し上げたい。

先日、母を見舞った時に、起工式の報告をすると、「楽しみだなぁ〜」と話していた。
父も、天国で、笑っているだろう。
人生の新たな拠点を作り、内なる家族の幸せと、外なる会社の繁栄を叶える為に、しっかりと腰を据えて頑張って欲しいと思うのである。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12942546342.html
























