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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
9月12日(金)、以前からずっと行きたかった平泉の中尊寺を訪ねる。
来年の2026年には開創900年を迎える中尊寺。
そして、昨年の2024年に、創建900年を迎えた金色堂にも、とても興味があった。

「本堂に座し、悠久の歴史の流れを感じたい」
そんな思いを抱いて中尊寺を訪れ、東北奥州の地で独自文化を築き上げた藤原氏のフィロソフィーに触れることができたのである。


1124年、初代となる藤原清衝によって、中尊寺金色堂を上棟する。
1126年、鎮護国家大伽藍を創建し、中尊寺の総供養をする。


平安時代、藤原氏が目指したものは、栄華を誇った京都ぶりに憧れて、追随した真似事などではまったくなかった。
藤原氏は、東北の平泉にいながら、京都や比叡山に展開した平安仏教文化を大きな触媒とし、ついには地方社会で初の一大仏教都市を築き上げ、その時代の先端的な実証実験の場でもあったと言える。
2011年、平泉文化は、ユネスコの世界文化遺産に登録されたのである。





(写真は中尊寺金色堂のサイトより)
本堂から少し歩くと、金色堂が在る。
ここには、藤原氏歴代の遺体が安置されている。
藤原氏が、金色堂へ託した願いとは…。
当時は、多くの「往生伝」が編まれた時代であった。
「往生伝」とは、極楽往生者の伝記のことであり、極楽浄土へ往って生まれること…つまり、「再生」である。
その現実化が「不爛壊」であり、そのタイムカプセルの役割が金色堂であったのである。
自宅に戻ってから、それらの書物や解説書を読み漁り、改めて、当時の藤原氏の先進的な取り組みに驚愕したのである。

境内の道の両脇に生い茂る老杉。
藤原氏の偉業を感じながら、当時に思いを馳せる。


今でいう、「地方創生」「持続可能性を持つ地方都市」
今から900年も前に、実証していた藤原氏。
地方都市の基盤や機能として、何が必要なのか?
今回、多くのことを学んだ中尊寺であった。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12930607044.html