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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
山形市には、何代も続いた老舗料亭がある。
その伝統ある料亭「亀松閣」の料理人になろうと、京都の「瓢亭」で修業をした笹原百可さん。
その父親、智美さんも、「瓢亭」で修業をされた。




自分は、東京からの大切なお客様が来られる時は、できるだけ山形の老舗料亭にておもてなしをさせていただく。
「料亭の佇まい、料亭の香り、料亭の料理に触れると、山形の歴史や文化が分かる」
山形市長であった、父、吉村和夫がよく話していた言葉である。

父が在命の約20年前までは、山形市には老舗料亭が6つあり、「六曜会」と名付けられていた。
その中の「亀松閣」の社長と父は山形大学の同級生。
「嘯月」の社長と父は山形南高校の同級生。
「四山楼」の社長は父の先輩で、その妹さんは父の
第四小学校の同級生。
「野々村」の社長は、子供同士が付属小中学校の同級生。
「揚妻」の8代目社長は山形南高校の父の後輩。
「千歳館」の社長は、幼馴染。
そんな、ご縁がある方々が、山形の伝統文化、花柳文化を守り抜き、時代の浮き沈みを見てこられたのである。
今では、3つの料亭しか無くなってしまったが、その料理人たちは、山形の四季や、日本の旬を捌き、季節の料理を提供してくれる、とても貴重な無形文化財とも言える料理人の技なのである。



タケノコと山形牛。
絶妙なコラボレーションで、お客様を驚かせていた。
2017年の先代である笹原智美親方と史恵女将。
智美親方は、間違いなく、季節の「旬」を捌く、第一人者であった。
一緒にお邪魔した、放送作家で料理評論家としても名高い小山薫堂さんが、「素晴らしい!」「季節を料理している」と仰っていた。
「dancyu」という雑誌にも、笹原智美さんのことを書いてくださっていた。



今年の3月。
はまぐりとタケノコの鍋も、まさに「旬」をいただいているようであった。
まさに、先代であり父である「旬を捌く達人」に近づいているように感じた。
これからが、とても楽しみである。
女将業を継ぐ姉の三聖さんと共に、是非、この素晴らしい料亭「亀松閣」を、次世代へ繋げていってほしいと思うのである。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12900797016.html