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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
昨年の6月、高齢化と体調の急激な悪化から、病院へ緊急入院し、その数日後に危篤状態となり、自分の次男は東京から、弟の長男は岩手県から、急遽母のいる病院に駆けつけた。
家族全員が揃い、母に懸命の呼びかけを行う。
それまでの数日間、入院してからはまったく反応はなく、覚醒しなかったらしい。
ところが、家族が駆けつけ皆で交互に母に声をかけ続けた翌日あたりから、少しずつ意識が戻り出す。
その後、1ヵ月が経った7月末頃には、片言の会話ができるほどまで回復する。
自分と弟の家族会議をする。
その結果、口から何も食べられず、点滴だけでも限界があり、回復し出してきた母の為には、「胃瘻」という方法で命を繋げる選択をしたのである。
8月初旬に、山形市の済生館で胃瘻の手術をしていただく。
回復を待ち、8月下旬には、現在の介護施設に入ることになる。
昨年11月5日の88歳の米寿の誕生日までは、「生きて欲しい!」と願っていたが、多くの方のご支援により、何とか米寿を迎え年を越すことができたのであった。

今年に入りコロナ禍も収まり、これまで以上に頻繁に顔を見に行っていたが、徐々に衰えていく姿は、しょうがない。
穏やかに、過ごしていければありがたいと思っていた。
ところが、89歳の誕生日が間近に迫った11月1日、施設のお祭りがあった時のこと。
それまで1年の間、何も飲まず食わずの母に「干し柿を食べますか?」と看護師さんと介護士さんが声をかけた。
「食べたい。」と母。
「じゃあ舐めてみる?」と干し柿を口の前に持っていくと、母はぐいっと手を引き、吸うように少し食べたとのこと。
「美味しい!」
そう言ったそうである。
自分は、その話を聞き、驚きと同時に涙が出てきたのである。
教えてくださった施設の皆さんも、その瞬間、涙が溢れたと話されていた。
1年以上も何も食べなかった母。
食べたいという欲望が、まったく無かった母。
そんな母が、「食べる」ことを求め、「食べた」のである。
自分にとっては、奇跡のような体験に思えた。

それからは、施設の主治医の先生とも相談し、朝の食事は、口から流動食の様なものを取っていこうとの方針になる。
先日は、お雑煮の汁や餡子を味わったそう。
口からの飲食は、誤嚥などのリスクはあると十分認識している。
しかし、ただ寝ている母が、「味わう」ことの喜びを感じることができる幸せを得たのだ。
それ以来、白髪の下から黒い髪が生えてきており、自分たち家族が驚いている。

2024年の大晦日、ムービーオンの仕事納めの終礼後に、妻と一緒に母を見舞う。
施設に来て2度目の年越しである。
母の実家の宮城県女川町の出島に橋が掛かったことを教えると喜んでいた。
来年は、卒寿を迎える母。
母がまだ元気な頃、母とよく話した。
「ここからは神様から貰った命だね」と。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12875754696.html