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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
真夏の太陽の日差しを浴びて、学生服は汗でビショビショで白い塩が吹き出し、何度も水をかぶる。
予選から毎試合タクトを振り、エールを送り続けた声はかすれ、喉も身体も限界だった。
47年前の1977年、夏の高校野球山形県大会。
自分は、高校3年生。
甲子園出場をかけた決勝戦。
山形南高校全生徒900人が、全校応援の為、霞城公園内の市民球場へ駆けつけていた。
山形南高校の相手は、前年に酒田大火があった中で練習を重ねて来た酒田工業高校であった。

その時、山形南高校のマウンドに立っていたのは、サイドスローピッチャーの氏家要一君だった。
応援席では、自分の他、国井、山本、坪倉、高橋、宮田などの3年生の応援団員を中心に、2年生と1年生を含めて約15人のメンバーが汗だくで応援していた。
自分は、高校2年生まで、剣道部に所属していた。
その時の応援団は、3年生が2人と2年生1人の3人だった。
一つ上の先輩も最後は八柳先輩が1人。
それまで応援団長をしていた押切君から、「3年生時は、春も夏も東京の予備校に行くので応援団はできない。応援団長をやってくれ!」と、3年生になった時に頼まれる。
父が山形南高校の初代応援団だったこともあり、そこから仲間たちの力を借りて、剣道部を止め応援団再建に乗り出す。
1年生や2年生の勧誘にも力を入れ、3年生になる春には、約20人の山形南高校応援団が出来上がる。
山形県内で最大規模の応援団となったのである。
同じ規模では、日大山形高の応援団があった。

ずっと側にいてくれたのは、リーダー長の山本恭央君。山形一中でも一緒の、親友であった。
国井新一郎君は、東京の予備校と山形を往復しながらも、副団長として最後まで頑張ってくれた。
太鼓長の坪倉君は、掌にできた豆が敗れながらも太鼓を叩き続ける。
親衛隊長の高橋稔君は、あの大きな団旗を、試合中ずっと掲げる役割であった。
真夏の暑い日、稔君が鼻血を出しながら最後まで団旗を支えていたのを覚えている。

応援団は、試合前に両校の団長同士が、打ち合わせを行う。
当時は、試合が始まる1回と、7回と、試合終了の時に、お互いの応援団がエールを交換し合う。
どちらが先に行うかなど、実は試合前にキチンと打ち合わせをしているのだ。
この瞬間がとても大切で、時として、揉めたりケンカに発展することもある。
団長同士の関係がとても重要であった。
その年の優勝候補は、日大山形高と山形東高。
日大山形高応援団は山下団長と村田副団長。
山形東高校応援団は佐竹団長。
佐竹君も村田君も山一中出身の仲間たち。
その他の、山形工業、山形商業、山形中央、東海大学山形(当時は一橋高校)などにも、山形一中の仲間たちが多く、そこから団長達とも仲良くなっていた。
2つの優勝候補は破ったが、結局、決勝戦の結果は、2対0で敗れ甲子園には行けなかった。
汗だくで泥まみれの高校3年生の夏は、この時、終わったのである。
しかし、秋になると、バレー部やサッカー部からの応援依頼があり出向いた。
春高バレー出場を決めた応援も、思い出深い。
同級生のバレー部の岩田君と抱き合って喜んだのである。




6月22日(土)、還暦同窓会から4年目に開催された、山形南高校第28回卒業「鉄人会」同窓会。


田舎の高校から出て来て、東京で過ごした大学時代に、様々なエピソードや忘れられない思い出を残した佐藤忠宏君や鈴木修君と。



渡邊、高橋、会田など、当時の野球部の面々。
(会田浩平君の写真を使わせていただく)
栗原君も田中君も、今では山形を代表する会社の役員である。




学年同窓会の幹事の張崎正裕、竹田典克両名には、いつも大変な役割を担っていただき感謝しかない。
高校時代や、その後の青春を謳歌した思い出は、自分にとってはとても大切な宝物である。
当時の思いに戻る同窓会。
何十年振りの再会もあった。
肩を組み、写真を撮る。

病気を克服して参加した人、退職して故郷山形に戻ってきた人、まだ現役でバリバリ仕事をしている人、悠々自適に第二の人生を謳歌している人など、それぞれではあるが、あの多感な青春時代のたった3年間だけど、あの校舎で過ごした事実は同じである。
あの時重ねた日々の記憶は、それぞれの胸に、仲間の歴史と共に刻まれている。
あの夏から数えて47年。
この同窓会の最初に、自分は山形南高校の校歌のタクトを振る。
最後の第一応援歌「空はコバルト」のタクトは、あの時の団旗を掲げてくれていた高橋稔君が、振ってくれた。
山形南高校の応援団、そして同窓会は、永遠に不滅である。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12857529702.html