- NANA starringが参加しました!
- グループホームあさひが参加しました!
- ときめき形成外科が参加しました!
- 株式会社 オクヤマ電気工事が参加しました!
- 株式会社 菊池技建が参加しました!
- 城北電気工事株式会社が参加しました!
- 藤庄印刷株式会社が参加しました!
- 老舗 長榮堂が参加しました!
- グランドホーム樫の木が参加しました!
- まさもりドライブインが参加しました!
日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
6月13日(木)、山形市にある創業130年の歴史を持つ老舗料亭「亀松閣」にて、二人の娘さんたちのお披露目会が盛大に開催された。

亀松閣の先代である笹原智美さんは、老舗料亭の社長兼料理長として、また、山形の料亭文化を守る第一人者として、料理界を牽引されてこられた。
その智美さんは、2017年春、お父上と同じ病で急逝された。
先代である父親の智美さんが亡くなった時、まだ学生だった二人の娘さんたちは、亀松閣を継承し守る為に、姉の三聖(みさと)さんは京都の「吉兆」へ女将修業へ、妹の百可(ももか)さんは父親と同じ京都の「瓢亭」へ料理修業へ、旅立つことを決意される。
彼女たちへ、「あなた達が戻るまで、亀松閣を私が守る。」と、背中を押したのは、母親で女将である笹原史恵さんであった。
その二人の娘の修業からの帰還を待って催されたのが、この日の「亀松閣 三聖さん百可さん お披露目の集い」であった。


この日のお披露目会の開会と同時に、生前の先代の智美親方の言葉も交えながら、これまでの亀松閣の歴史と経緯が、VTRに纏め上映された。
ダイバーシティメディアでは、生前の智美親方は勿論、20年に渡って、亀松閣の歴史や、新たな取り組みを収録放送してきた。
また、この度、史恵女将のご依頼の下、弊社の鈴木淳予ディレクター等が、京都の「吉兆」へ伺い、修業をしている三聖さんの様子を撮影してきた。
それらを合わせて製作したVTRが、この日、披露されたのである。

史恵女将から、三聖さん、百可さん、板長、帳場責任者など、勢揃いした亀松閣の現在のスタッフが紹介、披露された。

発起人代表の山形銀行の長谷川吉茂会長の挨拶、女将たちの挨拶に続き、来賓の平山雅之副知事と、高倉正則副市長の来賓祝辞があった。
この日を皮切りに、約100人の祝宴が計4回続くとのこと。
2回目は商工会議所や各種団体関係者、3回目は若手経済界、4回目は女性の方々だそうである。
当日、出張や所用で、参加できなかった吉村美栄子県知事、佐藤孝弘市長は、他の回に出席するとのこと。
実に多くの亀松閣を愛する方々が、勢揃いした大宴会。
亀松閣にとっては、素晴らしい門出となったのである。
この会を準備された、親戚筋とはいえ、伊勢和正さん、吉田眞一郎さんには敬意と感謝を申し上げたい。

続いて、山形芸妓の菊弥が、祝舞を披露する。

乾杯のご発声は、山形新聞の寒河江浩ニ会長。
乾杯の前に、これまで山形新聞が亀松閣を取り上げた記事などを、披露してくださった。

5月10日(金)の山形新聞朝刊には、亀松閣の「たすきつなぎ」が掲載されていた。
とても素敵な記事で、多くの人たちが話題にしていた。

生前の先代の笹原智美親方。
(7年前の2017年4月撮影)
この時が、智美さんとお会いした最後となった。
私の父、吉村和夫(故人・元山形市長)と、笹原智美さんのお父上は、山形大学ボクシング部の親友で、元山形新聞社の相馬健一会長も同級生。
お婿さんとして亀松閣に入った智美さんのお父上を、同級生たちは、夜な夜な亀松閣の2階にハシゴをかけ、夜の街に連れ出したそう。
当時、亀松閣のお婿さんは、修業が厳しくなかなか酒も飲めなかった状況で、同級生達が迎えに行ったんだそうである。
そんなご縁もあり、自分の父親の結婚式は亀松閣で行った。
披露宴は、近くの髙橋魚屋さんと2箇所に別れて行ったそうである。
その後、智美さんのお父上が急逝される。
智美さんは、跡を継ぐ為に、京都の瓢亭へ修業に行かれた。
父は、京都に行く度に、瓢亭を訪れ、亡き親友の忘形見を気にかけていた。
ある日、瓢亭の調理場まで足を踏み入れ、「トモ、いたが〜、元気にやってるか?」と声をかけたそうである。
智美さんが山形に戻ってからは、自慢の息子の様に、「瓢亭で修業してきた料理人、みんな食べに行ってけろな!」と、宣伝していたのを自分は記憶している。
また、「瓢亭の朝粥を山形でも食べられる!」と、朝食を食べに亀松閣に伺っていた。
自分も同行したこともあった。
しかし、父が亡くなったあとで、智美さんからお聞きすると、「あの朝粥は、数時間前に起きて煮込まなければならないので、割が合わず大変だったんです!ただ、吉村さんが『うまい、うまい』と言ってくださるので、どうしても作らなければならなかったんです。」と、笑いながら話してくださった。
智美さん、いい人〜と、自分も言ったのであった。
自分の結納も、息子の結納も、亀松閣である由縁は、長らく続いたご縁なのである。


だから、お二人の娘さん達が、修業を終えて戻られた時は、自分の娘の様に嬉しかったのであった。
年々歳々 花相似たり
歳々年々 人同じからず
しかし、その願いや思いは、永遠である。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12856207402.html