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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
先日、老舗料亭「亀松閣」へお客様を連れてお伺いした際、先代の故笹原智美社長と史恵女将さんのご長女である三聖(みさと)さんが、京都の女将修行から戻られたとご挨拶いただいた。
先に板前修行を終えて「亀松閣」の調理場に入っている次女である百可(ももか)さんと、お二人揃っての姿に、込み上げる感激と溢れる喜びを感じたのであった。

自分の父である元山形市長であった故吉村和夫と、先代の智美社長のお父上は、山形大学の同級生でボクシング部でも一緒であった。
同じ山形大学の同級生仲間には、元山形新聞社長の相馬健一さんがおられる。
当時の仲間達は、夜な夜な厳格な亀松閣にお父上を誘いにきては、街中に飲みに行ったそうである。
その息子さんである智美さんが、早逝されたお父上の跡を取ろうと、京都の「瓢亭」に修行に行かれた時は、心配していた父は、智美さんを激励に「瓢亭」を訪れた。
天にいる親友の代わりだったのだろう。
智美さんが山形に戻ってからは、父は亀松閣へ「瓢亭の朝粥を食べに行く」と、よく出かけて行った。
「智ちゃんの作った朝粥は、とっても美味しい!」と、父は口癖のように周囲に宣伝していた。
しかし、後日、智美社長から話を聞くと、「あの朝粥は、実は作るのがとても大変で、午前2時くらいから仕込まなければならず、他からは、できるだけ受けないようにしていたんです。」とのこと。
とても迷惑をおかけしたとお詫びしたが、智美社長は「親父への感謝の気持ち」だったと話してくれた。
父と母の結婚披露宴も亀松閣であり、自分たちの結納式も亀松閣であった。
息子達の結納式も亀松閣。
三代続けてのありがたいご縁である。



お二人と一緒にお会いしたのは、智美社長の通夜の席以来。
三聖さんは「女将修行」の為、京都の「吉兆」へ。
百可さんは「板前修行」の為、お父上と一緒の京都の「瓢亭」へ。
修行を終えて実家へ戻ったお二人を、きっと智美さんは天国で笑っておられるだろう。

二人が修行中、女将の史恵さんも、言わずもがなのご苦労をされたと思う。
2017年の春にご主人の智美さんを亡くされ、娘さん達を修行に出し、2020年からはコロナ感染症が猛威をふるった。
そんな大変な時でも、変わらず笑顔でお客様を迎えておられた。
お二人が小学生の頃、たまたま当時のケーブルテレビ山形(現ダイバーシティメディア)で、亀松閣へ撮影にお伺いした際、お二人の娘さんは、「私はお父さんの様な板前になりたい!」「私はお母さんみたいに女将さんになりたい!」と言っていたのを記憶している。
その後も、事あるごとに、そんな夢を語っていた。




今年1月末、ダイバーシティメディアの制作班は、三聖さんが、「吉兆」で働く中居の様子や、最後の食事会を撮影させていただいた。
京都まで伺った鈴木淳予ディレクターは、亀松閣での様子を含めての番組にするとのこと。
是非、ご期待いただきたい。
いよいよ、亀松閣の新たな時代の扉が開く。
笹原家の益々のご繁栄と、亀松閣のご隆盛を、心からご祈念申し上げたい。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12841720413.html