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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
その後、生涯を通して、彦吉代議士の息子である鹿野道彦氏を、一度もブレずに支えていた。

そんなご縁の中で、自分の仲人でもあり、元農林水産大臣の鹿野道彦氏が、昨年の10月21日に逝去された。
あっという間に、1年が経つ。

今年は新盆となり、盆入りの前の8月11日、鹿野道彦氏のご自宅へお参りに伺う。
奥様の充子さんと、いろいろな話をして、昔を振り返る。
自分と充子さんとの出会いは、結婚前の鹿野道彦氏と父を頭とする彦吉代議士の秘書団5、6名に、小学4年生の自分も加わり、大阪万国博覧会へプチ旅行に出かけた時であった。
充子さんは、日本パビリオンでコンパニオンをしており、英語もペラペラだった。
そこで、秘書団へ充子さんが紹介されたのである。
自分は、唯一の子どもだったので、役得で、充子さんが付けていた、日本パビリオンのバッジをいただいたのである。
その後、お二人は結婚され、3人のお子さんを授かったのである。

鹿野道彦氏と対峙して、いろんな事を話し合い、共有できるようになったのは、自分の父が亡くなって10年くらい過ぎたあたりであろうか。
私が20代の頃は、小学生の時からずっとそうであったが、「お兄ちゃん!」と呼んでおられた。
32歳でケーブルテレビ山形を設立してからは、よく会社に来られて、「専務、甘いもの食べさせて!」と言われ、アーモンドチョコレートを買ってきて出していた。
父が亡くなり、40代の後半からは、政治や経済など、様々なことを話してくださった。
ちょうどその頃は、民主党が政権を取り、農林水産大臣に就任なされた頃である。
上のツーショットは、その頃の写真である。
以前は、安倍晋太郎氏をオヤジとして仰ぎ、中川一郎、三塚博、森喜朗、石原慎太郎、小泉純一郎の各先生方を兄貴分としていただき、まさに自民党の清和会のプリンスと呼ばれ、いずれは内閣総理大臣と期待されていた鹿野道彦氏。
しかし、二大政党を理想に掲げて、小沢一郎氏や羽田孜氏などと呼応して自民党を割る。
そして、新進党、民主党へと進んでいった。
その選択が、正しかったのかどうかは、歴史が語ってくれるだろう。

昨秋の葬儀の写真である。
葬儀委員長の鈴木隆一でん六社長。
葬儀副委員長の千歳貞治郎愛山会総括。
同じく葬儀副委員長を仰せつかった自分。

そんな溢れる思い出と、鹿野道彦元農林水産大臣の歩まれた道を、最近、様々な方々と話し花が咲く。
良い思い出もあれば、苦い思い出もある。
鹿野彦吉元経済企画政務次官、自分の父・吉村和夫元山形市長、そして鹿野道彦元農林水産大臣。
3人が鬼籍には入られた今、彼らが思い描いた日本、そして山形県の未来を、真剣に考えていかなければならない…。
もうすぐ、一周忌である。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12758283009.html