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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
薄れゆく記憶の中、エルヴィス・プレスリーを初めて知った瞬間を思い出す。
1973年、当時の自分は小学6年生で、山形市の緑町埋立地区の借家の茶の間で、父が観ているテレビの横にいた。
人気の外国人の歌手が、熱狂するファンを前に、力強く歌っていたのを眺めていた。
その時、父が、「凄いな!衛星放送。この人がエルヴィス・プレスリーだよ!」と言う。
初めて彼を知った瞬間である。
たぶん、その日は1973年の1月14日で、ハワイの「ホノルル インターナショナルセンター」で行われた、世界同時生中継で史上初で最大のショーで、エルヴィスとパーカー大佐が企画した「アロハ・フロム・ハワイ」であったと推察される。
世界38ヵ国、10億人〜15億人が観たと言う。
自分は、夜中に観た記憶だったが、実際は日本では午後7時からの放送だったようだ。

カンヌ映画祭でも、スタンディングオベーションが鳴り止まなかったという映画「エルヴィス」
「ムーラン・ルージュ」の監督であるバズ・ラーマンが映画化した。



数々の逆境を打ち破った伝説の裏側には、危険すぎる真実があった。
クイーンの映画化された「ボヘミアン・ラプソディー」と比較されるが、まったく違うテイストであった。
むしろ、1人の奇跡の才能を持つ若者が、あっという間に人々を魅了して、歴史上、最も世界で売れたソロアーチストとなる真実の物語を丁寧に描いているのだ。


エルヴィスがいなければ、ビートルズもクイーンも存在していなかっただろう。
それほど、音楽の本質的価値と、社会的な慣習や常識のぶつかり合い、「世界を敵に回しても、俺は自分の音楽を歌う」と言うエルヴィスの信念が、時代を動かしていく。

1954年、地元のメンフィスのサン・レコードからデビューしたエルヴィス。
やがて、トム・パーカーとの出会いを経て、大手のRCAレコードに移籍。
初の全米1位となった「ハートブレイク・ホテル」を皮切りに、怒涛の活躍を展開していく。
ブルース、ゴスペル、R&B、カントリーの音楽要素を全て飲み込み、新種の若者音楽「ロックンロール」として、凄まじいセンセーショナルを巻き起こす。

エルビス役を見事に演じたオースティン・バトラーは、まさにエルヴィスそのものであり、尖ったほとばしる熱量が、ビンビン伝わってきた。
そして、トム・パーカー大佐を演じたトム・ハンクスの存在感が素晴らしく、ショービジネスを司るプロデューサーの闇をしっかり表現していた。
是非、この大作を見逃さないでほしい。
できるだけ、大きなスクリーンで、大音響で観て欲しい。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12751923375.html