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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
(父の墓の前で記念撮影。撮影時にマスクを外す)
父が亡くなったのは、2003年8月20日。
当時、自分は43歳で、弟は30歳であった。
この18年の間、弟夫婦は3人の子宝が授かる。
自分の長男も良縁を賜り入籍。
母も86歳で健在である。
仕事面でも、父が亡き後、シネマコンプレックスのムービーオンの建設・オープン。
岩手ケーブルテレビジョンの経営支援。
父が長年尽力していた山形県のバスケットボールの強化を引き継ぐ形となるパスラボ山形ワイヴァンズの設立・運営。
また、父が経営に参加していた東海大山形高校の理事長への就任。
それら以外にも、父が知らない物語を、毎年手を合わせながら墓前に報告している。
18年間という歳月は、様々なものを大きく変えた。
その一方で、変わらないものもある。
まさに「不易と流行」である。
そして、「諸行無常」を、感じ出す年齢に差しかかった。
ふっと思うことがある。
もし、父が生きていたら、いろいろな事を話したいし、意見や感想も聞きたいと…。
父だったら、たぶんこういう判断をすると、想定することもある。
生きていれば満90歳。
父の同世代の皆さんを見ると、嬉しく思う。
そして、話をしたくなるのだ。
曹洞宗の長源寺は、慶長7年(1602年)、山形藩主の鳥居忠政公が、父親である鳥居元忠の菩提を弔う為に開いたのが始まりである。
檀家のお墓の真ん中に、元忠公の碑が建立されている。
山形藩主であり、祖先を重んじた忠政公。
町の治水工事を敢行し、水路を張り巡らせた「五堰」を作ったのも忠政公である。
由緒ある長源寺を訪れながら、悠久の歴史を思い返す。
一年で、お盆と正月の2回は、家族が一緒にお参りをすることで、心が清々しい気持ちになるのだ。
次の世代も、その次の世代も、今日と同じように、家族が仲良く暮らしていて欲しいと願うのである。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12691984626.html