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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
2019/10/16 19:32:43
あれから47年…山形市立第四小学校の還暦学年同窓会を行う
10月13日(日)、山形市立第四小学校を卒業し、今年度で還暦を迎える学年の還暦同窓会が開催された。

当時は4クラス146人であった同窓生も、住所不明者が50人、未回答が30人、欠席者が30人、さらには約9人近くの方が亡くなられており、27名の出席者となった。
あの頃は、みんなが同じように大人になり、みんなが同じような人生を送るように思っていたが、47年の歳月は、それぞれの人生の中で、それぞれの物語を生きるには、十分な時間であったのだろう。
この場に集まった27名の仲間たちは、ここまで来れなかった仲間たちの分まで、大いに思い出を語り、大いに人生を語り合ったのである。
当時の4名の担任の先生方は、4組の山口先生がご逝去され、1組の松田先生と2組の太田先生がご健在であるがご静養中であり、3組の酒井順一先生が唯一参加されたのである。
酒井先生や仲間たちとの会話は、あっという間に時間を戻し、あの頃の気持ちを思い起こさせてくれた。

山形市の町中に在る山形市立第四小学校。
6年間通った母校である。
銀杏のマークが校章で、昔は、よくギンナンを拾って食べた。


この日は、第四小学校の武田教頭先生から、第四小学校の現状のお話をお聞きし、学校の見学をさせていただいたのである。
47年前、自分たちの学年が作った掛け軸の前で、話をしていただいた。


様々なトラブルもあったと記憶している。


窓から見た七日町方面。
当時は窓の外なんか見る余裕があったのだろうか…。
窓の外の景色は、中学生になってからは、よく眺めていた記憶がある。
(窓の外は心を躍らせる世界だと気がついたのは中学の時。空を見てノートに作詞ばかりしていた。)

洗面所のところに飾られている花。
とても素敵である。
小学生の頃は、窓からの景色、花や木、掲示物など、いかに注視せず素通りしてきたかを再認識した。
こんな素敵な学校を、もっともっと味わいたかったと思った。


壁の展示物を見る二人。
飾られた絵に、昔の山形駅前が描かれている。
彼女らは、今は県外で暮らしているので、懐かしさをもって話していた。
パスラボ山形ワイヴァンズの選手たちのサインが飾られていた。
赤土選手とウィルクリークモア選手のサイン。
応援給食の時のものだろう。

四小のシンボルのひとつは、この中庭。
思い出がぎっしり詰まっている。


そして、自分たちの過ごした6年4組の教室。
生徒の数も減っており、6年3組と一緒の教室になったそうで、以前より広くなっていた。
今は亡き、担任の山口由紀子先生が、黒板に毎朝様々なことわざを書いてくれた。
その姿を思い出す。

自分たちが入学した頃は、第四小学校は新校舎に建て替えたばかり。
真新しさで輝いていたが、今は、約50年の歴史を刻んだ校舎である。
それでも、風化している感じよりも、年輪を重ねて思い出がぎっしり詰まっている感じがした。


校舎の中に、「いちょう在蹟館」というものがあり、これまでの山形市立第四小学校の様々な書籍や発刊物、写真などがしっかりと保存されている。
酒井順一先生が、いろいろ説明して下さった。
先生は、第四小学校の第17代の校長である。


書籍の中に、自分が小学校6年生の頃の文章があった。
読んでみたが、けして文章が上手いとは思わなかったが、言いたいことは理解できた。
こんな文章を書いたとは、全然覚えていなかった。


見学会の最後は、自分たちが卒業してから建て替えた体育館。
ステージが、自分たちの頃とは正反対の方向にあった。
光が沢山差し込み、明るくて良い体育館だと感じた。
自分は、パスラボ山形ワイヴァンズの試合が天童市である為、ここで1度中座する。
第四小学校のご理解、酒井元校長先生、武田教頭先生のご尽力に、心から感謝申し上げたい。
自分たちの過ごした学び舎が、現存していて
それを見ることができる喜びを味わったのである。
山形市立第一中学校も、山形県立山形南高校も、自分たちが学んだ校舎では既に無い。
新校舎になっている。
だから、この日の見学はとても有意義であり嬉しかったのだ。



バスケット会場から駆けつけた懇親会は、みんなの近況報告も終わり、既に盛り上がっていた。

酒井順一先生と、ゆっくり話せて良かった。
他の担任の先生方の話もして下さった。
亡くなった父親も第四小学校卒業で、その事にも触れていただき、「もう少し長く市長でいて欲しかった!」と仰っていただいた。
80歳の先生は、とてもしっかりされていた。

今回、このクラスの西村慶子さんと清水茂子さんが最上川で飲んでいたところから同窓会の話が生まれた。



代表で大井田さんが花束を贈り、酒井先生から一言いただく。
当時の担任団では最も若い先生で、皆んなの兄貴的な存在であった。
いつまで、お元気でいてほしい。



中学校や高校の同級生と、小学校の同級生はちょっと感覚が違う。
47年間、一度も会ったことが無かった仲間とも、あっという間に昔の話になるのだ。
仲間の向こうに、その家族の姿、そして住んでいた家や部屋の記憶が、一緒に思い出されるのだ。
家族単位で、話題や情報が共有されるコミュニティーだったのだろう。

二中に進んだ仲間の同級生がやってる店だそう。

とても仲が良かった、コバ・小林誠也君と、ストチョ・須藤知身君。
相変わらず、小林は学者肌。
いずれは博士になると思っていた。
県の工業技術センターにいるとのこと。
酒屋の息子だった須藤は、1番スポーツができて、性格的にも相性が良かった。
彼は日大山形の野球部に進んだ。

けして議論はしない。
コバは、その対象ではないのだ。
それでいいと勝手に思っている。
小学校の同級生は、家族のようなもの。
また会えたら嬉しい。
東京から何度も来県し、この同窓会の打ち合わせを重ねた西村(土屋)慶子、最上川の茂子、源ちゃん、マコ、マーボー。
幹事として、頑張ってくれたのである。
ご苦労様でした。
また、近いうちに集まろう!
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12535565877.html