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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
2018/10/12 23:59:21
我がふるさとが生んだ稀代の建築家・本間利雄さんへ
小国町出身の舟山康江さんが、参議院議員に再び挑む際に、孤立無援の中でマイクを握って語り出した本間利雄氏。
「空から降ってくる建築ではなく、地域の歴史や風土から湧き立つ建築でなければならない。そこで生きる人々の暮らしや生活の中で、芽生える願いを叶える政治をしなければならないのだ!」
その言葉は、40代後半の自分の心臓を鷲掴みにした。
政治も経済も、人々の息吹や営みの中に成り立つものであり、何処かで誰かが決めて行われるものではなく、自らが自らによって未来を決めるものだと、改めて強く感じたのであった。
国家主権ではなく、主権在民である。
そんな強い意志を持ち、ふるさとを愛する心、無から有を作る建築家の信念、弱き人々を支える愛情が、本間利雄という人物の本質だと思う。

吉村美栄子知事の誕生、舟山康江参議院議員の誕生の時、本間先生は、郷土を愛し未来を託せる人を躊躇なく支援した。
そのブレない力強い姿を、自分は目の当たりにし、多くを学ばせてもらった。
その闘志溢れる戦いの中、垣間見る先生の笑顔は、格別なものがあった。
自分の父吉村和夫と、本間利雄先生は、同じ昭和6年生まれ。
山形新聞・山形放送の相馬健一元会長も同じ歳の生まれである。
父と本間先生の縁は深く、2人だけが分かり合えるものがあった。
自分も、本間先生と奥様を、若い時から親戚だと思っていた。
1975年頃、父は鹿野道彦元農林水産大臣の屋台骨を担っており、本間先生は近藤鉄男元労働大臣の大幹部であった。
政治的には反目しているのにもかかわらず、父が生涯で最初で最後となるマイホームを山形市あさひ町に建てる時、父は迷いなく本間先生に設計をお願いしたのである。

本間利雄先生は、2018年9月19日(水)に天に召された。
87歳の人生であられた。
9月23日の告別式の会場は、その日の朝に摘んできた、小国町や飯豊町の草花で飾られ、先生の在りし日の写真が散りばめられていた。

そして、会場の一番奥には、本間先生がこよなく愛した、飯豊連峰がパネルにして貼られていた。
まるで先生が、故郷に帰っていくような気がしたのである。
小国町の基督教独立学園の皆さんが進められた告別式は、素晴らしいもので感激した。
賛美歌が歌われ、棺の蓋が開けられ、その歌の言葉が、染み込んでいく。
共に、同じ空間にいる…そんな感覚を参列者は覚えたのである。

自分は弟と一緒に参列した。
告別式が終わると、本間先生の棺に皆んなが寄り添って別れを惜しんだ。

出棺。
参列した人全員で、本間先生を送り出す。

香山先生は「本間先生にとって、建築家は天職である。天職とはコーリングと言い、天からの呼びかけである」と話された。

今年7月下旬に、香山先生は、本間先生を訪れ対談をなさっている。
タイトルは「小国と信仰・建築への想い」
新潟に生まれた香山先生は、朝日連峰を南から見て育ち、本間先生は北から見て育った。
その山の向こうを思い描いたそうである。
お二人の感性や思想、哲学が、お互いを引き寄せ、無二の理解者となられた。
対談は、「建築をつくる喜び」と「山の向こうのもう一つの日本」について語られていた。


本間利雄設計事務所所長として、実に多くの建築を手掛けられた。
東北、山形の自然や景観と融合した風土や歴史に培われた、東北芸術工科大学や山形県美術館、シベールアリーナや山形メディアタワー、水の町屋七日町御殿堰など、多くの願いや夢をカタチにされたのである。


また、光栄なことに、自分が2011年から理事長を務める東海大学山形高等学校の、耐震改善の為の新校舎の設計を、本間先生からしていただく機会をいただく。


素晴らしい校舎が出来上がった。
テーマは、「骨太の建築」「多様性の泉が湧き可能性が広がる校舎」


新校舎落成の日、本間利雄先生の後継者の本間弘さん、市村社長、会津社長、船橋社長と屋上を歩く。
晴天であり、蔵王山が見透せた。




しかし、その想いは、随所随所に残っているはずである。
本間先生と弘さんと会食した夜、建築家・本間利雄のほとばしる熱さと、信念と誇りを感じたのであった。

本間弘所長におかれては、昨年の3月の奥様利枝さんのご逝去に次いでの二重の悲しみの中、2人の意思を継ぐという覚悟を述べられていた。
田中晃副所長は、自分の山形南高校の同級生。
あまりにも大きすぎた本間利雄という稀代の大建築家。
その後継の本間弘氏を、所員全員で支えながら、本間利雄先生の哲学や思想を皆さんで遂行することを、心から願うのである。
本間利雄先生のこれまでのご厚情とご指導に心から感謝し、天上からしっかりと山形県、日本国を見守っていてほしい。
16年前に先に逝った、父の吉村和夫と一緒に、笑いながら…。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12411488559.html