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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
2018/07/12 23:49:38
オレンジ&パートナーズとN35、そして小山薫堂氏の魅力☆
先日、オレンジ&パートナーズに入社し、その後N35で小山薫堂氏の秘書をしていた鈴木小夏さんが、わざわざダイバーシティメディアに来社され、6月末での退職の挨拶と報告をしてくれた。
退職と言うより、むしろ卒業という感じがした。
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自分の長男であるダイバーシティメディア・メディア戦略局長の吉村和康も、小山薫堂さんが立ち上げたオレンジ&パートナーズに、多摩美術大学から初の新卒採用者として迎えていただき、1年目から映画「おくりびと」の米国アカデミー賞最優秀外国語映画賞の受賞式が行われたロサンゼルス・ハリウッドにも、オレンジのメンバー全員で行き、「人生の輝きの瞬間」を感じさせてもらった。
結局、5年間お世話になり山形に戻った。
鈴木小夏さんは、東北芸術工科大学から、最初はオレンジ&パートナーズに入社し、その後、N35に移り、小山薫堂さんと最も近い場所で仕事をしていた。
たぶん、薫堂さんの価値観や考え方を、目の当たりにしながら、自分の心の中に刻み込んで行ったに違いない。
息子同様に、軽部副社長、萩尾取締役からも大変お世話になり、様々なことを学んだ5年間だったと話してくれた。
鈴木小夏さんは、辞めてから、「小山薫堂さんの側にいること自体が、普通では考えられない特別な環境であり、どんなに光栄で素晴らしい経験をさせていただいたかが、改めて分かりました。」と話していた。
これからのことは、熟慮中とのこと。
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鈴木小夏さんは、東北芸術工科大学1年生の時から、YMF山形国際ムービーフェスティバルの手伝いをしてくれたり、ダイバーシティメディアの前身のケーブルテレビ山形でバイトをしてくれたり、社内には顔馴染みのスタッフが多い。
この日は、鈴木淳予アナウンサー、高橋俊行ムービーオン常務、佐藤則子YMF山形国際ムービーフェスティバル事務局長、大学の先輩の松田優香秘書広報室秘書課長などが彼女を出迎えた。
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感謝である。
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それが作られた表面だけのものや、無理に見せているわけではなく、素から放たれる自然体であるから素晴らしい。
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ビジネススキルとプレゼンテーション能力は、他の追随を許さない。
また、萩尾友樹取締役は、27歳の時に、YMF山形国際ムービーフェスティバルのキャッチコピー「才能よ、雪に埋もれるな。」を考えた実務型のクリエイターである。
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昨年の3月19日に、東北芸術工科大学の学科長から、京都造形芸術大の副学長に就任する際、小山薫堂さんは、わざわざダイバーシティメディアに、東京から車を運転して山形に入り、挨拶をしに来て下さった。
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東北芸術工科大学の企画構想学科の立ち上げ、初代学科長の小山薫堂教授。
様々な想いや考え方を山形に残して行ってくれた。
今は、ボブ田中氏が、学科長として新しいページを作られている。
いよいよ週末は、オトナルヤマガタの開催である!
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(オトナルヤマガタの前身の「月山青春音楽祭」にて)
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そんな人物なのである。
お金持ちになりたい!
偉くなりたい!
有名になりたい!
…彼にとっては、これらはすべて二次的な価値観である。
最も大切なことは、相手や周囲を、そして人々を「シアワセにすること」「愛し続けること」
自分からは、最後に鈴木小夏さんへアドバイスをした。
「どこに行っても、小山薫堂さんはいないから、探したり比べたりしてはダメ。自分の中に置いて、新たに育って行くこと!」
和康局長もアドバイスというか、自分がオレンジを卒業する時に、小山薫堂さんから言われたことを伝えていたようだった。
まだまだ20代、鈴木小夏の物語は、始まったばかりである。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12390372933.html