- NANA starringが参加しました!
- グループホームあさひが参加しました!
- ときめき形成外科が参加しました!
- 株式会社 オクヤマ電気工事が参加しました!
- ルージュ・ベルグが参加しました!
- 株式会社 菊池技建が参加しました!
- 城北電気工事株式会社が参加しました!
- 藤庄印刷株式会社が参加しました!
- 老舗 長榮堂が参加しました!
- グランドホーム樫の木が参加しました!
日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
2017/06/07 23:59:27
約150年前の天保の香り…御殿堰の「そば処・庄司屋」
数日前、山形市の御殿堰の「そば処・庄司屋」で、東京からのお客さんを迎え、そばを食べに行く。
![{408D7844-8466-4AFD-8E6C-ADE7A38F8619}](upload/staff/86/images/8fac1b0acefb3d5c23d59e44d88068bb.jpg)
注文したのは「天ざるそば」
ここで、庄司屋の若旦那さんが、粋な図らいをしてくださる。
そばの半分を「天保そば」にしてくださったのである。
そばの奥の半分が、天保そばである。
手前は、これも美味しい、十一のそばである。
これには、自分もだが、東京からの有名人も、驚き感動していた。
![{C4A38E48-5490-40B7-806C-1F9E8AE63049}](upload/staff/86/images/897d076cb9fafa60822274de68ca5ecd.jpg)
天保時代は、1830年から1844年まで。
その時代のそばの実が、福島県大熊町の民家の屋根裏から発見されたのが、約150年後の1999年(平成11年)である。
しかし、それを山形の鈴木製粉の鈴木彦市氏(故人)が手にとった時、「乾燥や痛みがひどくて、とても発芽するとは思えない」と、語っていた。
その実を山形に持ち込み、そば職人たちと、故鈴木彦市社長は、根気強く育てた。
そして、2006年(平成18年)、発芽、開花と成功し、結実にまでこぎつけたのである。
翌年、「幻の山形天保そば」として、商標登録をする。
![{55ADA2F7-5A2B-4B26-BE1B-4F57F9AE8706}](upload/staff/86/images/4199f09aa1f7fdddfec7df17a005d67f.jpg)
ニュースや報道では知っていたが、実際の天保そばを食べたのは初めてであった。
![{E8BC2E73-6123-403C-81D7-AF4C5AA646D6}](upload/staff/86/images/6df45f310eed573b5864fcbc7a3fe965.jpg)
![{85E5FF0E-B8F7-4FF8-93E4-97E5E97BF6BA}](upload/staff/86/images/ed580915e98ab6490867a449a5aa42ac.jpg)
山形の街の中を流れる川。
山形藩の2代城主である鳥居忠政公が、1624年に、5本の生活水路を山形の城下町に張り巡らせた。
その五堰のひとつである御殿堰。
![{42FEF726-2DE5-442F-93B5-B0FABF6327C3}](upload/staff/86/images/9f7dae14e50c66e20c80ca30d2fa149f.jpg)
![{D0B47477-1A9A-4DC1-AF4B-AB8617BE59FC}](upload/staff/86/images/2e6e8ebbd431716cd362fb1e9748dcb6.jpg)
約400年の時を経て、山形の七日町に、蘇ったのである。
そこで食べるそばは、格別の美味しさがある。
![{3C04FAA4-E9CF-4428-B825-76B4DB3A309F}](upload/staff/86/images/4b1908a2e2b7659b462e48e545d57abd.jpg)
山形の1つの大きな魅力である。
元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-12281776149.html