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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
2017/03/20 13:50:43
小山薫堂氏の素晴らしい人柄と礼節
昨日の3月19日(日)、小山薫堂さんがダイバーシティメディアにいらっしゃり、しばらくぶりに話をし、楽しい時間を過ごした。
今年3月末で、東北芸術工科大学の企画構想学科の学科長は、ボブ田中さんに譲り、薫堂さんは、姉妹大学の京都造形芸術大学の副学長に就任されるとのことで、わざわざご挨拶に来てくださる。
東北芸術工科大学には、CCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)として、役割を残すとのこと。

そもそも、小山薫堂さんとは、約13年前に、YMF山形国際ムービーフェスティバルの、第1回目の選考委員になっていただいた経緯があり、その頃は、映画「おくりびと」のシナハンにも山形に来る機会も多かった。
ちなみに、ムービーオンやまがたでは、当時の「おくりびと」を、全国2位のロングランで、1年間上映し続けた。
YMF山形国際ムービーフェスティバルの開催中に、当時の芸工大の宮島副学長や五十嵐事務局長が、学科長のオファーに来ていた事もあった。
山形県と小山薫堂さんは、ほぼ同時期に3つの縁(YMF山形国際ムービーフェスティバル、おくりびとの原作兼脚本、東北芸術工科大学の企画構想学科)が、生まれていたのだ。
まさに、セレンディピティー…セレンディップの寓話である。

約2週間前に、九州の熊本県天草の薫堂さんのご両親から、「今シーズン最期のミカン」が届いたばかりだった。
いつも、デコポンなどをいただき恐縮している。
同封の手紙には、熊本地震より、少しずつ日常が回復している様が伺えた。
地震のすぐ後に、山形のつや姫や水など、少しばかりだが送らせていただいたことへの御礼の手紙も、季節毎に頂いているが、今回も同封されていた。
とても、立派で律儀なご両親であり、小山薫堂さんの倫理観や礼節を重んじる姿勢は、そこにもあると思う。
素晴らしい親御さんである。

そして、現在はダイバーシティメディアのメディア戦略局長である自分の長男が、自分の父親、自分の母校である、山形県立山形南高校(三代応援団)を卒業し、多摩美術大学を卒業した時に、小山薫堂さんが代表取締役社長のオレンジ&パートナーズの、初の新卒での入社を認められたのである。
長男は、オレンジ&パートナーズでは、ジュニアと呼ばれ、5年間、昼夜なく学ばせて頂いたのである。
自分は、長男が大学卒業する時に、迷わず小山薫堂さんへ電話やメールを入れてお願いをする。
大会社よりも、どんな人よりも、小山薫堂の感性や先見性、社会や時代を読む力、クリエイターとしてのスキル、そして何よりも、人を愛する思いと高度な優しさを学ばせたかったのである。
本人も、芸術系の大学なので、小山薫堂さんには憧れていたようだが、自分としては、「薫堂さんの、御庭番、付き人、運転手をして来い!」と送り出したのを覚えている。


この辺も、薫ちゃんの優しさを感じる。
数年前から、YMF山形国際ムービーフェスティバルの選考委員から、同じ熊本県出身の行定勲監督と共に、特別顧問に就ていただいた。
これからも、自分が運営委員長であり続けている限り、ずっと続けて欲しいと、毎年お願いしている。
また、チョットしたミッションもあり、どうなるかは分からないが、これからも、いろんなことをしていこうと話した。
自分は、バスケットのパスラボ山形ワイヴァンズの試合が上山市であり、ダイバーシティメディアで別れたが、長男やYMF山形国際ムービーフェスティバルの佐藤則子事務局長などが随行し、ムービーオンのMX4Dで、「シン・ゴジラ」のリクエスト上映を体験された。
これからも、元気でお互いに頑張り、次は、ゆっくり温泉に行こうと話し、再会を誓った。
彼の素晴らしい人柄や礼節を重んじる、一級品の人物であると、改めて思ったのであった。
元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-12258061330.html