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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
2016/12/18 23:56:48
映画「海賊とよばれた男」と「士魂商才」
2013年の大ヒット作「永遠の0」に続いての、百田尚樹原作、山崎貴監督作品「海賊とよばれた男」が上映中である。
人生とは、荒波を乗り越えて、襲いかかる苦難に立ち向かい、前に進んでいく。
仲間達と共にあれば、どんなことにも立ち向かえる。
山崎監督は言う。
「本当の人生を見てきたような、きれいごとではない映画にしたかった」と。

1912年、主要燃料が石炭だった当時から、石油の将来性を予見していた若き日の国岡鐵造(岡田准一)は、北九州地区に国岡商店を興す。
だが、資金も経験もない彼は、取引する会社も無く、追い詰められていく。

しかし、彼は店員を連れ、伝馬船を漕ぎ、次々と海上で油を売りさばいて行く。
それを見た同業者たちは、口々に彼らをこう呼び、唇を噛んだ。
「こん、海賊どもが!」

ユキ(綾瀬はるか)と結婚し、公私ともに順風の中にあった鐵造。

この頃が、彼の一番シアワセだった時代であろう。
しかし、それも長くは続かず、迫り来る戦争、ユキとの離縁、店員の戦死など、痛恨の波が押し寄せる。
さらには、石油メジャーとの恒常的な戦いや、国内の他社との厳しい駆け引き。
国岡鐵造の、内面的な精神的ストレスと、外部との摩擦によるプレッシャーは、物凄いものがあった。
そんな時、いつも彼の支えとなったのは、店員(仲間達)と、彼自身の信念であった。
そして、会社に常に飾られていた言葉は、「士魂商才」

1945年、敗戦。
銀座の国岡商店の建物は、奇跡的に焼け残った。
集まった店員達へ、鐵造は話す。
「愚痴をやめよ。みんながいる限り、必ず再び立ち上がる。下など向いている暇はない。誰一人クビにはせん。」

ラジオ修理から、ビラ撒き、そして海軍のタンクの底からドロに混じった油の取り上げ作業。
そして、その後、すべての経済を、アメリカのメジャーの参加に入れようとするチカラに、彼は、戦いを挑む。

国岡商店所有の「日承丸」
日本一の大型タンカーの建造である。


そして、イランのアバダンと直接取引の為に、紛争地区イランから石油の直接的輸入を実行する。

山崎貴監督を知ったのは、2005年と2007年の「ALWAYS三丁目の夕日」2本の大ヒットの時。
ほぼ同じ世代に育ったので、西岸良平さんのマンガは、ビックコミックオリジナルで必ず読んでいたし、単行本も全て持っていた。
その後に、ヤマトの実写版の時、映画の感想をフェイスブックに書いたら、実名でコメントをつけ答えてくれた。
出逢いは、2011年。
「もののけ島のナキ」…泣いた赤鬼の時。
とても、賢く頭の良い方で、一方で少年の持つ夢や浪漫を持ち続けてきた大人だった。
大好きな監督の一人である。

出光佐三氏である。
北九州の門司市に出光商会を立ち上げた、「出光」の創業者である。
「人間尊重」と、「大家族主義」をモットーとし、95歳で他界する。
この映画を観ながら、自分と重なる部分が多いと感じた。
「ケーブルテレビ山形」を無一文から設立し、今は複数の会社に携わっている。
その半生の中、やはり、荒波に立ち向かう「情熱」と、「仲間と共に」をモットーとしてきた。
ちょうど32歳の時、つまりケーブルテレビ山形を創ろうとしていた時、現在は山形商工会議所会頭である清野伸昭氏(当時47か48歳)と、跳ね返りの自分は、清野氏と意見がぶつかり合い、2時間の議論の末、ご叱責を受けた。
その時の言葉が…士魂商才である。
25年たった今でも、自分のデスクの中に、「士魂商才」と、当時の書かれた紙がある。
「サムライの心を持ち、商人である」
当時の自分には、解らなかった。
意味はわかったが、「行け行け!行くしかない!」と、いつも戦闘モードで相手に飛びかかるような目をし、ギラギラしていた時代。
立ちふさぎ、その言葉をぶつけて下さったのは、当時の清野伸昭山形ナショナル社長だったのである。
だから、この映画は、とても自分の人生に重ねることができたのである。
人生、生き様、夢、浪漫、熱さ、仲間。
この年末年始、自分自身を振り返るのもいいと思う。
元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-12229812879.html