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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
2016/10/22 23:58:12
ホリエモンこと堀江貴文社長との再会。
いろんなことがあった…。
堀江貴文と出会ってからの約12年間に起きた出来事は、まさにドラマチックで、シリーズものの映画になるような、ダイナミックなものであった。
その時の、会話や一緒に話した事が、鮮明に蘇る。

10月21日(金)夜、酒田市での講演会が終わったあと、タクシーにて、約1時間40分をかけて、山形まで来てくれた。
昔から、破天荒なことをするなぁと思えば、礼節を重んじる真面目な性格。
最近では、破天荒なことというより、様々な人間との関わりや、イノベーションをかなり意識しているようだった。
地頭が良いだけに、瞬時に色々なものが分かり、行動も決断も、常人の追い付くものではない。
以前は、敵か味方かを瞬時に見分け、自分に近寄ってくる人が、何を求めてくるのか
をすぐ感じていた。
間違いなく、普通の人のスキルとは、格段にレベルが違う。

夜、10時30分頃に、ムービーオンやまがたに到着する。


最初は、ムービーオンと繋がっている「八文字屋」との、原作本、CD、DVDなどと、映画館とのメディアミックスから、カルチャーコンプレックスへの親和性について説明をする。

さらに、この「ムービーオンやまがた」は、エンツォフェラーリをデザインし、今はJRのデザイナーとして、秋田、北陸新幹線をデザインした、奥山清行氏がデザイン監修したものであると話す。


そして、シアター1の上に存在する、オリエンタルカーペットが部屋中に敷いてある、貴賓室を案内する。
カーテンを開ければ、シアター1を最上階から観られるのである。
映画を観ながら食事さえできる部屋。


MX4Dは、初めて体験するそうで、デモで動かした。

1度は、現在の「YMF山形国際ムービーフェスティバル」の会場である、「ムービーオンやまがた」を、しっかり堀江社長から見てもらいたかったのである。
何故なら、YMF山形国際ムービーフェスティバルを創設したのは、自分と堀江貴文なのであるからだ。
自分が運営委員長で、当時のライブドアの堀江社長が選考委員長であり、開催場所は、山形市の七日町の「シネマ旭」であった。
翌年からは、堀江社長が物理的に参加できなくなり、第2回目からは、村川透監督が、今もずっと選考委員長を務めてくださっているのである。


最後に会ったのが、2009年の10月15日だから、調度7年ぶりの再会となる。
チャーボーこと、堀江社長の右腕の竹内氏
とも同様である。
この7年間を埋めるように、お互いの事業を説明し合う。

堀江貴文との最初の出会いは、2004年の10月12日。
彼が、楽天の三木谷氏と競り合い、仙台市に野球チームを作ろうとしていた頃、東北の市民のアンケート調査を、各新聞社が載せた。
楽天が7%の支持率に対して、ライブドアは40%の支持率であった。
それを受け、TCN東北のケーブルテレビ局13局は、ライブドアの堀江社長と提携した。
そこで、両者が契約をし、ライブで合同記者会見をした。
結果としては、ライブドアの夢は叶わなかったが、この日の夜は、「香味庵」でみんなで「芋煮」を食べた。
堀江社長は、「こんなに美味いもの食べたことないっすよ!」と、話していたのを記憶している。
翌年の2005年の、第1回YMF山形国際ムービーフェスティバルを、二人両委員長として、東北のケーブルテレビ13局が創設して開催する。
同じ頃、自分と堀江社長で、ワンコインズシネマ(500円で映画を観られる映画館)を、山形市のセブンプラザのイータ、渋谷のジャック&べティ、横浜市の映画館、3店舗を設置し、ライブドアが持っていたネットビデオを上映した。
この年の暮れには、ジェット機で山形入りし、サンデージャポンの取材班も同行。
丸勘青果市場、佐藤牛肉店、長栄堂、山二醤油とさとみの漬物講座などを回る。
企業セミナーも、パレスグランデールで開催した。
そして、2008年、反省の時を過ごした後、静かに誰にも知れずに、平清水焼きを作りに来て、蔵王温泉の高見屋に泊まる。
この時も、だいぶ話をした。
翌年は、少し元気になり、ゴルフ三昧となっていた。
7月20日と21日に、山形のゴルフ場を回っていた。
そして、まさかの2回目の反省の時。
あれから、時間は7年も過ぎたのである。
電話は、ちょくちょくしていたが、お互い、しっかり話をしたかったので、昨日は、さわりだけであったが、しっかり話せた。

場所を移し、いつも来るフェイスのママに、美味しい芋煮を頼んでいた。
時間はすでに11時30分。
嫌な顔ひとつしないで対応していただき感謝。
堀江社長にとっては3回目となるフェイスである。
堀江社長と竹内氏からは、米沢牛で作った芋煮と、辰寿司の特上寿司を食べてもらう。
ここからは、十勝のロケット開発の件、ピロリ菌キットの件、ドローンのDリーグ開催の件、映画製作に関する件、サッカー(Jリーグの正式なアドバイザー)の件、バスケットBリーグの件、シェフにチャレンジしている件、堀江貴文イノベーションネット大学の展開の件など、それはそれは、頭の回転が早く、とても良い状態だった頃の、天才堀江貴文が舞い降りてきたのだった。
昨日の夜だけで、自分とのコラボレーション案件は、4つ、5つのプロジェクトに上り、週明けから、進めるつもりである。
パスラボ山形ワイヴァンズの試合も、「是非観にきたい!」と言っていた。
7年の時を経て、以前以上の最高の状態のホリエモンが帰ってきた喜びがあった。
彼が、反省の時期を迎えたとき、今まで「ホリエモン」と、どのマスコミも沸き上がっていたが、国税が入った瞬間、手のひらを返したように、彼を悪人としての大叩き上げが始まるのである。
堀江の目的は「金」ですよ…と、誰かが言うと、マスコミは一斉に取り上げる。
でも、彼は、自分にはそんなことを話したことは1度もなかった。
自分へ取材に来た方々には、「堀江の目的は金ではありません。金はあくまでも手段で、彼の目的は、人類社会の進歩です」と話した。
昨日の夜は、それが証明されたかのような夜となる。
午前2時頃まで話しても、話は尽きなく、また改めてと言うことになった。
彼が、自分の可能性をどこまで広げられるかを、これからもしっかり見届けてあげたいと心より思った。

12年前のように、今も夢を実現することを、真剣に考えている自分達がいた。
物語は、まだ、始まったばかりなのである。
元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-12212135058.html
堀江貴文と出会ってからの約12年間に起きた出来事は、まさにドラマチックで、シリーズものの映画になるような、ダイナミックなものであった。
その時の、会話や一緒に話した事が、鮮明に蘇る。

10月21日(金)夜、酒田市での講演会が終わったあと、タクシーにて、約1時間40分をかけて、山形まで来てくれた。
昔から、破天荒なことをするなぁと思えば、礼節を重んじる真面目な性格。
最近では、破天荒なことというより、様々な人間との関わりや、イノベーションをかなり意識しているようだった。
地頭が良いだけに、瞬時に色々なものが分かり、行動も決断も、常人の追い付くものではない。
以前は、敵か味方かを瞬時に見分け、自分に近寄ってくる人が、何を求めてくるのか
をすぐ感じていた。
間違いなく、普通の人のスキルとは、格段にレベルが違う。

夜、10時30分頃に、ムービーオンやまがたに到着する。


最初は、ムービーオンと繋がっている「八文字屋」との、原作本、CD、DVDなどと、映画館とのメディアミックスから、カルチャーコンプレックスへの親和性について説明をする。

さらに、この「ムービーオンやまがた」は、エンツォフェラーリをデザインし、今はJRのデザイナーとして、秋田、北陸新幹線をデザインした、奥山清行氏がデザイン監修したものであると話す。


そして、シアター1の上に存在する、オリエンタルカーペットが部屋中に敷いてある、貴賓室を案内する。
カーテンを開ければ、シアター1を最上階から観られるのである。
映画を観ながら食事さえできる部屋。


MX4Dは、初めて体験するそうで、デモで動かした。

1度は、現在の「YMF山形国際ムービーフェスティバル」の会場である、「ムービーオンやまがた」を、しっかり堀江社長から見てもらいたかったのである。
何故なら、YMF山形国際ムービーフェスティバルを創設したのは、自分と堀江貴文なのであるからだ。
自分が運営委員長で、当時のライブドアの堀江社長が選考委員長であり、開催場所は、山形市の七日町の「シネマ旭」であった。
翌年からは、堀江社長が物理的に参加できなくなり、第2回目からは、村川透監督が、今もずっと選考委員長を務めてくださっているのである。


最後に会ったのが、2009年の10月15日だから、調度7年ぶりの再会となる。
チャーボーこと、堀江社長の右腕の竹内氏
とも同様である。
この7年間を埋めるように、お互いの事業を説明し合う。

堀江貴文との最初の出会いは、2004年の10月12日。
彼が、楽天の三木谷氏と競り合い、仙台市に野球チームを作ろうとしていた頃、東北の市民のアンケート調査を、各新聞社が載せた。
楽天が7%の支持率に対して、ライブドアは40%の支持率であった。
それを受け、TCN東北のケーブルテレビ局13局は、ライブドアの堀江社長と提携した。
そこで、両者が契約をし、ライブで合同記者会見をした。
結果としては、ライブドアの夢は叶わなかったが、この日の夜は、「香味庵」でみんなで「芋煮」を食べた。
堀江社長は、「こんなに美味いもの食べたことないっすよ!」と、話していたのを記憶している。
翌年の2005年の、第1回YMF山形国際ムービーフェスティバルを、二人両委員長として、東北のケーブルテレビ13局が創設して開催する。
同じ頃、自分と堀江社長で、ワンコインズシネマ(500円で映画を観られる映画館)を、山形市のセブンプラザのイータ、渋谷のジャック&べティ、横浜市の映画館、3店舗を設置し、ライブドアが持っていたネットビデオを上映した。
この年の暮れには、ジェット機で山形入りし、サンデージャポンの取材班も同行。
丸勘青果市場、佐藤牛肉店、長栄堂、山二醤油とさとみの漬物講座などを回る。
企業セミナーも、パレスグランデールで開催した。
そして、2008年、反省の時を過ごした後、静かに誰にも知れずに、平清水焼きを作りに来て、蔵王温泉の高見屋に泊まる。
この時も、だいぶ話をした。
翌年は、少し元気になり、ゴルフ三昧となっていた。
7月20日と21日に、山形のゴルフ場を回っていた。
そして、まさかの2回目の反省の時。
あれから、時間は7年も過ぎたのである。
電話は、ちょくちょくしていたが、お互い、しっかり話をしたかったので、昨日は、さわりだけであったが、しっかり話せた。

場所を移し、いつも来るフェイスのママに、美味しい芋煮を頼んでいた。
時間はすでに11時30分。
嫌な顔ひとつしないで対応していただき感謝。
堀江社長にとっては3回目となるフェイスである。
堀江社長と竹内氏からは、米沢牛で作った芋煮と、辰寿司の特上寿司を食べてもらう。
ここからは、十勝のロケット開発の件、ピロリ菌キットの件、ドローンのDリーグ開催の件、映画製作に関する件、サッカー(Jリーグの正式なアドバイザー)の件、バスケットBリーグの件、シェフにチャレンジしている件、堀江貴文イノベーションネット大学の展開の件など、それはそれは、頭の回転が早く、とても良い状態だった頃の、天才堀江貴文が舞い降りてきたのだった。
昨日の夜だけで、自分とのコラボレーション案件は、4つ、5つのプロジェクトに上り、週明けから、進めるつもりである。
パスラボ山形ワイヴァンズの試合も、「是非観にきたい!」と言っていた。
7年の時を経て、以前以上の最高の状態のホリエモンが帰ってきた喜びがあった。
彼が、反省の時期を迎えたとき、今まで「ホリエモン」と、どのマスコミも沸き上がっていたが、国税が入った瞬間、手のひらを返したように、彼を悪人としての大叩き上げが始まるのである。
堀江の目的は「金」ですよ…と、誰かが言うと、マスコミは一斉に取り上げる。
でも、彼は、自分にはそんなことを話したことは1度もなかった。
自分へ取材に来た方々には、「堀江の目的は金ではありません。金はあくまでも手段で、彼の目的は、人類社会の進歩です」と話した。
昨日の夜は、それが証明されたかのような夜となる。
午前2時頃まで話しても、話は尽きなく、また改めてと言うことになった。
彼が、自分の可能性をどこまで広げられるかを、これからもしっかり見届けてあげたいと心より思った。

12年前のように、今も夢を実現することを、真剣に考えている自分達がいた。
物語は、まだ、始まったばかりなのである。
元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-12212135058.html