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時森 ししん

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時森 ししんさんの新着日記

2016/07/18 22:43:45
ヤマガタ・グラフティ…30代は毎日が闘い!

中国の賢人、儒学の開祖・孔子は、「論語」の中で、「吾、15にして学を志し、30にして立つ。40にして惑わず。50にして天命を知る。60にして耳従う。70にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。」と言われた。

当時、30歳を迎えた自分は、好むと好まざるとに関わらず、自分が立たざるを得ない環境に押し出されて行く。


父親が、山形市を二分した2度目の山形市長選挙に約1400票差で破れ、親も無職、父の秘書の斉藤淳一氏(後の山形市議会議長)も無職、自分も秘書をしていたため無職となり、何処かの職に就くか、自分で会社を立ち上げるか、生きる道は2つしか無かったのである。


親も無職だから、経済的には頼る場所は皆無である。


そして、悩みに悩み、迷いに迷い…。

たどり着いた結論は、「ケーブルテレビ」を山形に作ろうということだった。



当時は、「ケーブルテレビ」や「CATV」という、有線放送局を作りたい…と話すと、「何?それどんなもの?」と、その言葉すらほとんどの人々には通じなかった。


自分は、まだ30歳の若造であり、
「地方からの発信」
「情報格差の是正」
「多数の専門チャンネルの選択視聴」
「衛星放送がアンテナ無しで視聴できる」
「市民の為の市民チャンネルを制作する」
など、やりたいことや、思いや夢はどんどんイメージでき、多くの方々へ、ケーブルテレビ局の必要性を、熱っぽく話していた。

しかし、資金力は皆無だったし、お金がどれだけ必要かさえ解らなかったのが事実。

総事業費も、当初想定していた2000万円などは話にもならず、1億円、10億円、20億円と、日々を追うごとに膨らんでいくのである。

「やりたいこと」と「やれること」を、どう整合性をとっていくのか、両方の事業計画が積み上げられていく。


そして、当時の山形銀行の長谷川吉茂常務と、殖産銀行の長谷川憲治常務の門を叩く。

とにかく多くのことを学んだし、指導された。

厳しいハードルも用意されたが、とても愛情豊かに、この地域のマグマみたいなものを激しく活性化しようとしていらっしゃったような気がする。


吉茂常務の課題の1億円の資本金は、200万円の50社の皆さんから出資していただき、約20億円の総工費は、銀行6行の協調融資団を組成していただく。

これがとても大変なことであった。

「ケーブルテレビ」を知らない方々への出資依頼。
どこの馬の骨とも分からない、30歳の若造の言葉。

今思えば、よくぞ皆さんが、出資してくださったと感激ひとしおである。


そして、事前に集めた「友の会」は、目標の12000人を越え、その後の営業活動に役立つ。



1992年(平成4年)9月14日、ついに、ケーブルテレビ山形創立総会が、ホテル・キャッスルにて開催されたのである。

この日、自分は、ケーブルテレビ山形代表取締役専務に就任する。

この時、32歳であった。



そして、ケーブルテレビ山形設立を見届けた翌10月に、大切な友人、加藤隆巳副社長が他界された。

共に夢を追い続けてきた、山形デザインセンター&山形デザイン専門学校の校長である。(色彩学の権威であり、生前は様々なことを教えていただいた)

一緒に歩み出したばかりの時、病に倒れたが、夢の実現を成し遂げ、天に登っていったのである。

とても辛く悲しい中でのスタートであった。



最初の頃は、10人強での船出であった。

準備委員会からのメンバーと、第一期の社員。

クルーから南に100メートルの所にあったカネハヤシビルを社屋(現在コンビニエンスSeven-Eleven)にした。

準備委員会の時は、県庁裏のタカヒロビルの一室を借りていて、そこから移転した。



1993年(平成5年)9月、郵政省より、有線テレビジョン放送施設設置許可を受け、記者会見。
この時、自分は33歳。



そして、1994年(平成6年)10月1日に、開局・放送開始。
この時、34歳。



開局時には、第二期の社員が入社し、約20人のメンバーとなる。



社長、副社長は、月に1度しか会社に来られない為、常勤の自分が、専務として全てを取り仕切った。

特に、営業と制作には、徹底して力を入れ、夜を徹して仕事をしていた。



営業会議は、夜10時から、毎日やっていた。
それくらいやらなければ、設立7年目から今年まで、17年連続黒字は出来なかったと思う。

親の後を継いだわけでもないし、財産があるわけでもない。

常に、背水の陣であった。




制作にも全力を注いだ!

「小さいけれど、されど尊い物語」
ケーブルテレビ山形の市民チャンネルのテーマである。

当時は、どのテレビ局も、そんな視点は持っていなかった。


「スタジオは私たちの町、主役はあなた!」
見る人、出る人、作る人…それが同じ人なんだ!…と、自分達は叫んでいた。

まさに、今のインターネット社会そのものが、そうである。


当時は、山形県で最も小さなスタジオであった。

そこで、東奔西走、四六時中、不夜城の如く、様々な物語やメッセージを、発信したのである。

それをやり続けた、制作スタッフ達。



そして、1999年(平成11年)4月より、インターネットサービスを開始する。

事業内容は、当初に比べれば多岐にわたり、40人を越える大所帯になっていく。

自分は39歳になっていた。



当時、会社を引っ張ってくれていたのが、女性社員。

女性幹部を育てたいと思ったのも、この頃である。



トーク番組にも自分は毎月出演し、山形や日本の未来を、地域の課題を深堀するところから探っていった。

「今日とは違う、世界がある。」である。




そして、全国ケーブルテレビ局で初となる、連続コミュニティードラマ「風の吹く街」

13話のドラマである。



シナリオ、音楽、ディレクション…すべてがオリジナルである。

役者もオーデションですべて決めた。



主人公の「麻美」が、都会と地方を対比し、世の中の表面しか見ていなかった自分を正当化し、自分の考えを頑なに守ろうとする。






しかし、友人や、仲間達との再会や、山形の季節の物語の中で、目に見えるもの(現象)だけではなく、目に見えないもの(本質)が見えていくのである。

自分が覚醒する物語であり、後日、CS放送で全国にも配信された。




30代は、毎日課題があり、同時にいつも問題が発生し、さらに、様々なことに、精一杯、アクセル全開でチャレンジした。

毎日が戦いであった。


今考えれば、経営者としては論外なことだが、「倒れるかもしれない…。」と思ったのは、自分だけではなく、社員全員だったと思う。


彼らがいたから、アクセル全開で、とてつもなく高い山の頂を目指せたし、それが、40代の更なるばく進に繋がっていったのである。



ちなみに、父親が、4度目の挑戦で山形市長に就任するのは、2000年(平成12年)2月6日。

自分が40歳になった10日後である。



元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-12172948729.html

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