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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
40歳を過ぎてから、幼き頃からの近所の後輩のような、親戚の弟分のような、さらには街のやんちゃな気の合う仲間のような存在と出会うことは稀である。
初めて会ったのは、今から約13年前。
東北ケーブルテレビネットワークを法人化しようとしていた頃。
そして、ホリエモンと出会い、これから様々なビジネスモデルを作り出そうとしていた頃。
さらには、YMF山形国際ムービーフェスティバルを始めようとしていた頃。
そんな、自分にとっては、現職市長だった父が亡くなり、新たな航海に踏み切ろうとした時期であった。
彼は、30代後半。
まだまだ、血気盛んな頃であり、天下を相手に大儲けしてやろうという野心や大望があった。
今のスマートテレビと同じ、インターネットテレビを当時は独自レベルで開発していた技術力を持った会社を経営しており、東北のケーブルテレビ局との連携を考えていた。
その後、ホリエモンも加わったが、時代より、10年ちょっと早かった。
そんなことを皮切りに、お互いがいい距離感を持って今に至る。
たまには、二人きりで、美味しいものを食べながら、雑音抜きで、突っ込んだ話ができた。
総料理長の林浩生さんの、流石のフルコース。
特に、「アワビのヴァプール肝ソース」と、「牛フィレのグリエ プランスミュラ」は、最高だった。
彼と自分が、それぞれ悩み苦しんでいた8年前くらいに、夜中のファミレス・ミルキーウェイで、コーヒーを飲みながら、午前3時頃まで話していた。
あれ以来…。
あの時、自分の秘書のユタカに、増岡社長はご自身の腕時計を外し、増岡社長の代わりに、専務(当時自分は専務だった)を守ってくれと、高額の腕時計を与えた。
それが、その後のユタカのモチベーションになり、今でも、その時計をつけている。
二人の夕食のあとは、ミッション別担当者が待つフェイスへ。
ちょうど、店の女の子の誕生日だった。
その後、増岡社長がYMF山形国際ムービーフェスティバル以来だというパセオに行く。
様々な物語を、ここ1年でどこまで進められるか?
本番が近づいている!
元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-12173909784.html