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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
気仙沼ケーブルネットワークの帰りに、母の実家がある宮城県牡鹿郡女川町出島へ伺う。
自分が小さい頃は、よく母と訪ねた島である。
母の実家の木村商店は、米屋、酒屋、八百屋、薬屋、たばこ店、お菓子屋、さらには化粧品や日常品まで扱う、出島の総合商店の様な存在だった。
小学生の頃、店番をしているのがとても嬉しくて、買いに来てくれる島の方々へ、品物を販売する喜びを感じていたのを覚えている。
曽祖父は特定郵便局を開き、代々郵便局長もしており、定期船の発着や、郵便物や品物の積み下ろしもしていた。
小さな島ではあったが、その島の経済の中心にあった。

祖父母が亡くなり、跡を継いだ叔父が62歳で急逝した後は、叔母が一人で木村商店を切り盛りしていた。

昨年の春、42年ぶりに出島を訪れ、曽祖父母、祖父母に手を合わせ、選挙で大変だった父と母を支えてくれた叔父のご冥福をお祈りできたのである。
今年も、母の家族を訪れ、仏壇に手を合わせる。
叔母さんが、美しい花を飾っておられた。
生活を支えるとても優しかった祖母、宇宙や物理学を独学で学んでいた祖父、人生の道理と歴史の大切さを教えてくれた叔父、そしてその位牌と墓を守られている叔母。
みんな大好きな人たちである。
手を合わせて目を瞑れば、皆の体温を感じることができた。
母の家族は、まさに、自分の家族の原点とも言える人たちなのだ。
母は施設におり、来ることは叶わなかったが、その思いをキチンと伝えたのである。

サンセットの出島の海を見るのは、50年ぶりである。
もっと暗くなると、海の波の音と月明かりで幻想的な光景の中に、ただ自分がいたのを覚えている。
あの不思議な体験は、海がある場所だから感じられるものなのだろう。


高台にあるお墓でのお参りは、今年は断念する。
右膝と腰痛の為、残念ながら諦めたのである。


震災後、10年以上かかった出島大橋。
昨年春に開通した。

この光景を、忘れたくない。

震災後、海は再生し出し、少しずつ元の海になろうとしている。
出島にも、いつの日か、あの頃の様な賑わいが戻ってほしいと願わずにはいられない。
何度も何度も心の中で祖父母へ話しかけながら、夕日の出島に別れを告げ、帰路に着いたのであった。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12979465642.html
























