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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
約20年前、放送作家の小山薫堂さんと軽部政治さんが立ち上げた、プランニングとコンサルタントの会社であるORANGE AND PARTNERS。
当時から、その斬新で挑戦的な試みは、新たな時代の幕開けのように、「企画」や「構想」の面白さと凄みを、世間へと知らしめたのである。

「企画」や「構想」は、人の心や頭の中にあるものであり、実に曖昧な虚構のようなものなのかもしれない。
しかし、それこそが「夢」や「愛」の本質でもある。
それ自体をブランディングし、付加価値と言われたものを、価値のど真ん中においたのが、彼らの挑戦であった。


日本を代表する放送作家の小山薫堂氏と、時代を先取りした革命児の軽部政治がタッグを組んで設立した企業が「ORANGE & PARTNERS」であり、多くの気鋭のデザイナーや天才達が集ったのである。

「何故、オレンジなの?」と、当時、お二人に聞いた時がある。
そこで返ってきた言葉が、「オレンジ色の空」であった。
魔法にかかったような感覚を覚えている。

そのチームを牽引していた副社長の軽部政治氏。
昨年の8月にオレンジを退職された。
自分は、薫堂氏と同じ頃に軽部氏と出会った。
軽部氏は、サイバーブレットという会社の社長を務めていたが、そこを辞められて次の進む道を考えていた。
自分は、うちのグループに来て欲しいと、熱いオファーを彼にかけた。
それぐらい、才気溢れる人物であったのだ。
そんな中、軽部氏から、「小山薫堂氏と会社を作る」との連絡が入り、彼らはオレンジを設立したのである。
現在の萩尾副社長も、当時はレッドライスメディウムの副社長だった。
実は、このメンバーが、現在の山形国際ムービーフェスティバル(YMF)の設立時のコアメンバーだったのだ。
薫堂さんは、当時、YMFの審査委員を務めてくれたが、同じ頃、映画「おくりびと」の原作までやり直して後世に残る映画を仕上げたのだ。
また、東北芸術工科大学の企画構想学科も立ち上げたのである。
山形で、3つの物語が始まっていたのだ。




この日は、郷土料理の店「あげつま」で、美味しい料理や鰻重を食べながら、山形県産酒を振る舞い、20年前の話を語り合ったのである。

自分と薫堂氏と軽部氏の物語は、さらに先に進むことになる。
自分の長男が、大学卒業を期に「ORANGE & PARTNERS」の初の新採として入社した。
「吉村ジュニア」と呼ばれた彼は、その後の5年間、毎日お二人の下で鍛えられるのである。
彼の結婚披露宴の時の主賓の1人は小山薫堂氏。
彼の祝辞の「挫折の天使」の詩は、今でも語り草となっている。

今年は、あと2回会おうと話し、青春時代の友達のように盛り上がった時間。
まさに、あの頃へタイムリープ!


その後は、夜中まで、カラオケ♪
20年前は、カラオケボックスで朝の3時とか4時まで歌い明かした。
途中、森友嵐士くんの「離したくない」を歌う軽部氏。
彼のおはこである。
そこから嵐士くんへメールをする!
はちゃめちゃな、20年前の様なノリであった。
そんな夜に、薫堂さんとも会いたくなった。
軽部さん、19年間、お疲れ様でした。
あなたは、よくやりました。
少し休んで、また、会いましょう。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12962589785.html
























