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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
2026年3月11日、午後2時46分。
ダイバーシティメディアの館内に、「東日本大地震の被災を受けて亡くなった方々に黙祷を捧げます」とのアナウンスが流れた。
ミーティング中であったが、仕事をやめて起立し黙祷を捧げる。
目を閉じた瞬間、あの日あの時の出来事が、走馬灯のように思い出す。

あれから15年。
東北に住む人々にとっては、決して忘れられない出来事である。
その日、75歳の母は、午前中から仙台市に出かけて行った。
「歯医者に行ったついでに、デパートで買い物をしてくる」
そんなことを言っていた。
結局、その日は連絡が取れず、翌日、一瞬だけ繋がった携帯電話で、どこかの小学校で避難して一夜を過ごしたとのこと。
ホッとしたのを覚えている。

あの日は、とても寒かった。
季節外れの雪が降ってきて、停電だった為に暖房も止まった。
車に付いているテレビで、リアルタイムで状況を知った。

ニュース速報は、次第にその被災の大きさを伝えていく。
地震の大きさ、津波の被害、火事などの二次災害、そして極め付けは福島第一原発のメルトダウン。
(その時点では、どのレベルの災害で、どれだけの被災者が出たのかも分からなかった)
次第に分かっていく前代未聞の大災害に、心が冷たく凍りついていったのを覚えている。

山形県庁は、不夜城となり、明かりが消えることはなかった。

弟家族と一緒に、コンビニで買ったパンやカップヌードルを食べる。
家族が皆で過ごせたから、なんとか平常心でいられたが、母との連絡はとれなかったのが、皆の気がかりであった。

あの日、母の実家で祖父母の家は、津波に飲み込まれた。
宮城県牡鹿郡女川町出島。
思い出が詰まった場所である。


昨年の3月、訪れた出島。
橋が架り、穏やかな波は、まったく違う光景であった。

あの日のムービーオンやまがたは、停電で何も動かず、スタッフが泊まり込みで回復を待った。

15年目のムービーオンやまがたの今日。
あの日のことを思い出す。
そして、あれからの15年間も、新型コロナウイルス感染症など、様々な大変な事があった。
なんとか、今日を迎えている。

2011年3月11日。
あの日あの時を忘れない。
穏やかな日常を奪ったあの日。
多くの人々が亡くなったあの日。
故郷をめちゃくちゃにされたあの日。
あの日から、抗うことすらできないが、自分たちができることは、「忘れないこと」
そして、「失くしたものの尊さを、伝えていくこと」だと思うのである。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12959436931.html
























