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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
2012/08/09 23:38:00
巨星堕つ…中村幸雄元山形市議会議長
本日、平成24年8月9日午前11時から、山形県土地改良事業団体連合会と最上川中流土地改良区、そして中村家の合同葬として、故中村幸雄元山形市議会議長の葬儀が執り行われた。
ケーブルテレビ山形が急遽制作した、中村幸雄氏の生前の姿のビデオが流され、在りし日の故人と接するようだとのことで、評判が良かったようである。
葬儀委員長は、前農林水産大臣の鹿野道彦氏であり、公務多忙の中でも
駆け付けて大役を果たされてトンボ帰りをされたのである。
故、中村幸雄氏は、二十代で鹿野道彦先生のお父さんの鹿野彦吉代議士の青年部長として、若き時より、政治が大好きであった。
38歳の時に、山形市議会議員の選挙に出で、残念ながら次点、そこから8年間、現在の吉村美栄子山形県知事の叔父の吉村和夫の秘書として、山形の隅々まで出掛けては、市民と交わって自分のスキルを上げていく。
そして46歳で市議会議員に初当選。
以来、6期連続当選。
その間、多くの市議会議員の方々のご推挙により、山形市議会議長の椅子を掴んだのである。
ちょうどその頃、中村幸雄氏が38歳で師事した、1歳上の吉村和夫は39歳で山形県議会議員になり、そこから4期連続トップ当選、その勢いで山形市長選挙に挑戦する。
しかし3回連続で惜敗し、4回目で山形市長となる。
二十代で出会った二人が、三十代後半で政治の舞台に名乗りを上げ、それから30年後に、青雲の志を持った二人の若者が、山形市長と山形市議会議長となるのである。
今世紀の幕開けを担った二人の傑物は、吉村和夫が約9年前に点に召され、その後、山形県の政治のご意見番として、中村幸雄氏が存在していた。
中央で話をしているのが中村幸雄市議会議長であり、一番左に座っているのが当時の吉村和夫市長であり、一番右に座っている赤いベンチコートを来ているのが現在の市川明男山形市長である。
山形県土地改良事業団体連合会会長として、最上川中流土地改良区理事長として、農業団体のトップとしてもチカラを発揮され、亡くなるまで現職であった。
生者必滅 会者常離
生きているものは必ず亡くなるし、出会ったものは必ず別れるということは、人の世の習いである。
だからこそ、生きている間に、どんな生き方をするのか?
誰と出会い、どんな繋がり方をしていくのか?
それが大切であり、自分の人生を創造していく基本なのであろう。
少なくとも、中村幸雄氏の生前の輝きは一等星の光を放っていた。
心より、万感の思いを持ち、天に旅立っていく御霊を、みとどけたいと思う。
長い間のご指導、ありがとうございました。
合掌
Android携帯からの投稿
元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-11324781828.html
ケーブルテレビ山形が急遽制作した、中村幸雄氏の生前の姿のビデオが流され、在りし日の故人と接するようだとのことで、評判が良かったようである。
葬儀委員長は、前農林水産大臣の鹿野道彦氏であり、公務多忙の中でも
駆け付けて大役を果たされてトンボ帰りをされたのである。
故、中村幸雄氏は、二十代で鹿野道彦先生のお父さんの鹿野彦吉代議士の青年部長として、若き時より、政治が大好きであった。
38歳の時に、山形市議会議員の選挙に出で、残念ながら次点、そこから8年間、現在の吉村美栄子山形県知事の叔父の吉村和夫の秘書として、山形の隅々まで出掛けては、市民と交わって自分のスキルを上げていく。
そして46歳で市議会議員に初当選。
以来、6期連続当選。
その間、多くの市議会議員の方々のご推挙により、山形市議会議長の椅子を掴んだのである。
ちょうどその頃、中村幸雄氏が38歳で師事した、1歳上の吉村和夫は39歳で山形県議会議員になり、そこから4期連続トップ当選、その勢いで山形市長選挙に挑戦する。
しかし3回連続で惜敗し、4回目で山形市長となる。
二十代で出会った二人が、三十代後半で政治の舞台に名乗りを上げ、それから30年後に、青雲の志を持った二人の若者が、山形市長と山形市議会議長となるのである。
今世紀の幕開けを担った二人の傑物は、吉村和夫が約9年前に点に召され、その後、山形県の政治のご意見番として、中村幸雄氏が存在していた。
中央で話をしているのが中村幸雄市議会議長であり、一番左に座っているのが当時の吉村和夫市長であり、一番右に座っている赤いベンチコートを来ているのが現在の市川明男山形市長である。
山形県土地改良事業団体連合会会長として、最上川中流土地改良区理事長として、農業団体のトップとしてもチカラを発揮され、亡くなるまで現職であった。
生者必滅 会者常離
生きているものは必ず亡くなるし、出会ったものは必ず別れるということは、人の世の習いである。
だからこそ、生きている間に、どんな生き方をするのか?
誰と出会い、どんな繋がり方をしていくのか?
それが大切であり、自分の人生を創造していく基本なのであろう。
少なくとも、中村幸雄氏の生前の輝きは一等星の光を放っていた。
心より、万感の思いを持ち、天に旅立っていく御霊を、みとどけたいと思う。
長い間のご指導、ありがとうございました。
合掌
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元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-11324781828.html