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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
「義を見てせざるは勇なきなり」
「信なくば立たず」
そんな言葉が、心にすっと染み込んでくる家庭で育った。
自分が産まれたのは、東京の三軒茶屋。
父は政治家を目指す、まだ20代の国会議員の秘書であった。
そんな父が、亡き父親代わりに慕った方は、当時の自民党の代議士・鹿野彦吉先生だった。
時が移り、鹿野彦吉先生の次男である道彦氏が、34歳で衆議院議員に当選する。
父とは同じ釜の飯を食べた盟友。
その頃は、既に父は山形県議会議員になっており、そこからは二人三脚で一時代を築いた。
政治家としての最後は、鹿野道彦代議士は農林水産大臣となり、父吉村和夫は山形市長となった。
父が2003年に現職の山形市長で亡くなり、鹿野道彦代議士も2021年の秋にご逝去された。
葬儀委員長にはでん六の鈴木隆一社長、副委員長は自分と愛山会総括の千歳貞治郎氏が就いた。
鹿野道彦先生が亡くなった夜、それまで、選挙では、ずっと対立軸にあった遠藤利明代議士の須藤秘書より連絡が入り、「鹿野先生へ手を合わせたいと、遠藤が言っている。弔問に伺ってもよろしいでしょうか?」と、自分の携帯電話へ連絡が入る。
そこにいたのは、充子夫人、喪主の雄一氏などのご家族、鹿野派の県会議員と市議会議員の皆さん、そして吉田あい子さんなどの秘書団。
喪主を中心に話をし、「お待ちしています」と連絡をする。
遠藤利明代議士が、鹿野先生のご遺体に手を合わせて、「鹿野先生が尽力された山形新幹線への思いを、私が引き継いでいきます。これまで、日本のため、山形のため、ご苦労様でした。」と話される。
あれから5年が経つが、その間、遠藤利明代議士と何度か会食をし、忌憚のない話をさせていただいた。
これまでの市長選挙や知事選挙の中で、保守が、鹿野・吉村派と、遠藤派に分かれてしまった。
県内を見渡しても、もともと保守なのに、別れてしまった地区がある。
それが、一つになることが、国、県、市と、地方の都市機能を維持発展させる道であると、県内の「保守合同」を、遠藤代議士は「自分の任期中に果たしたい!」と仰っていた。
そもそも、吉村家と遠藤家は、親戚の間柄。
これまでは、親戚間でもギクシャクしていたが、やっと当たり前の関係になったような気がする。

今回の選挙で、遠藤寛明氏が、39歳の若さで当選された。
当選の翌日、わざわざ、自分の自宅までご挨拶に来てくださった。
その1時間前に、遠藤利明先生とも電話で話をし、「やっと今回の選挙で、保守合同が果たせたと思う。」と仰っていた。

今回の衆議院選挙で、吉村美栄子県知事の経済界の会長の平井ヤマコー会長が、遠藤寛明氏の選対本部長に就く。
美栄子知事を応援していた経済界や商工界の主要なメンバーも、寛明氏の支援となった。
寛明氏は、とても素直で誠実で、相手を気遣う素晴らしい資質がある。
政治家は、人間力だと、彼の未来に期待しか感じられない。
松下電器の創業者である松下幸之助翁が大切にしたのは、「素直な心」である。
物事の実相をありのままに受け止め、自分を飾らずに表現する。
人の悪口よりも、感謝の言葉を口にする。
少子高齢化が進む山形。
遠藤寛明氏には、そんな地方都市の魅力を最大限に引き出し、素晴らしい未来を築き上げてほしい。
山形県に脈々と続いてきた、先人たちの「坂の上の雲」を引き継ぎ、次世代を託したいと思うのである。
元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12956194588.html
























