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日記アーカイブズ
時森 ししんさんの新着日記
2012/03/11 22:55:00
3・11から1年…。
1年前、ケーブルテレビ山形の3階で、高橋文夫前社長、斉藤健企画室長、staffユタカとワカ、そして妊娠中のトモカ…みんなと共有した体験だった。
長い揺れで、1度終わったと思ったら、また揺れ出した。
途中で、バチッと停電になり、また揺れて、ケーブルテレビ山形のビルからみんな外に出た。
ちょっといつもより激しい地震…その程度の気持ちでいたから、まさか停電が続き、津波が大平洋沿岸をのみ込み、福島原発が制御不能になっていた…なんて、思ってもいなかった。
しかし、ケーブルテレビを自家発電にし、ムービーオンやまがたへいき、停電が解消なったらフィルムを巻き戻すなど、数名を泊まりにして、家へ戻る。
母が仙台に行っていて、夜、やっと数秒間電話が通じて、避難所になっている、どこかの学校へいるとのことでひと安心した。
弟家族は、自分の家で夕食をとり、夜中までいた。
携帯は充電がいつできるか分からない為、車のテレビで見る初めての津波の被害。
時間が経つにつれ、かなり予想を越えた地震と津波を体感した日であった。
翌日、松田さんとゴトウが、母を仙台市に迎えに行って、探して無事に帰宅させてくれた。
そこへ駆け込んできた、弟。
「兄貴!ひょっとすると、福島原発がメルトダウンになっているかもしれない。どうする?」
すぐ、『風向きと、チェルノブイリの放射能飛散地域』を、ケーブルテレビ山形の経営企画室に調査を指示する。
また、ケーブルテレビ山形制作部では、生放送を開始。
ここからは、放射能問題と、ガソリン
不足の事態が始まる。
あれから…1年。
2時46分…黙祷。
生家と故郷・出島を無くした母は泣いていた。
まさか、20000あまりの人々が亡くなるとは、だれが予想しただろう。
自分は、病をおしてお言葉を話された天皇陛下の強い意志と思いに、涙が止まらなかった。
山形の街に鳴り響いた『千年和鍾』の音…。
風化することなく、みんなで大きな愛でひとつになろう!
そんなことを思ってしまう。
Android携帯からの投稿
元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-11190122167.html
長い揺れで、1度終わったと思ったら、また揺れ出した。
途中で、バチッと停電になり、また揺れて、ケーブルテレビ山形のビルからみんな外に出た。
ちょっといつもより激しい地震…その程度の気持ちでいたから、まさか停電が続き、津波が大平洋沿岸をのみ込み、福島原発が制御不能になっていた…なんて、思ってもいなかった。
しかし、ケーブルテレビを自家発電にし、ムービーオンやまがたへいき、停電が解消なったらフィルムを巻き戻すなど、数名を泊まりにして、家へ戻る。
母が仙台に行っていて、夜、やっと数秒間電話が通じて、避難所になっている、どこかの学校へいるとのことでひと安心した。
弟家族は、自分の家で夕食をとり、夜中までいた。
携帯は充電がいつできるか分からない為、車のテレビで見る初めての津波の被害。
時間が経つにつれ、かなり予想を越えた地震と津波を体感した日であった。
翌日、松田さんとゴトウが、母を仙台市に迎えに行って、探して無事に帰宅させてくれた。
そこへ駆け込んできた、弟。
「兄貴!ひょっとすると、福島原発がメルトダウンになっているかもしれない。どうする?」
すぐ、『風向きと、チェルノブイリの放射能飛散地域』を、ケーブルテレビ山形の経営企画室に調査を指示する。
また、ケーブルテレビ山形制作部では、生放送を開始。
ここからは、放射能問題と、ガソリン
不足の事態が始まる。
あれから…1年。
2時46分…黙祷。
生家と故郷・出島を無くした母は泣いていた。
まさか、20000あまりの人々が亡くなるとは、だれが予想しただろう。
自分は、病をおしてお言葉を話された天皇陛下の強い意志と思いに、涙が止まらなかった。
山形の街に鳴り響いた『千年和鍾』の音…。
風化することなく、みんなで大きな愛でひとつになろう!
そんなことを思ってしまう。
Android携帯からの投稿
元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-11190122167.html