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トワルさんの新着日記

2015/10/13 20:43:03
美とは…103
前回、スーツの登場、特に背広についてはフランス革命がきっかけと記しました。
では、ズボンはどうだったのか。
 
どうも本などで調べていくと中世末期当時のヨーロッパにおいて、ズボンというものは下層階級の野蛮な衣装以外何ものでもなく、見下されていたようです。
このころの特に貴族ファッションと言えば前回も書いていますが、タイツ姿に今でいうちょうちんブルマーの様なものに詰め物をしてふくらませて(肖像画でよく見ます)います。
しかも色々調べていくと、このブルマーの股間部分には布(袋)までついていて、その袋に詰め物をして男性そのものを強調。大きさを競い合っていたというから笑ってしまいます。
しかもそのようなファッションは三世紀にわたったというから驚きですね。
 
しかし1700年代のドイツが発端となる宗教戦争がヨーロッパを巻き込んだ三十年戦争の頃から、兵士の間で長ズボンが使用され始めるのですが、依然として上流階級の人間にとって下層階級の服でしかなく、相変わらず半ズボン(キュロット)に執着してたようです。
しかもその半ズボン、時代を経るにつけ細身になり最終的には下半身のシルエットが丸分かりするほどだったと記されています。1780年ごろまで続いたようです。
まるで笑うに笑えない下品なコントを見ているようですね。
 
そしてフランス革命が起こります。
そこで長ズボン派である下級市民が貴族の象徴でもあるキュロット(半ズボン)派を粛清。半ズボンは減少していきます。
それでも上流階級の人間にとって長ズボンは相当に抵抗があったようで、米国で一般に着られる様になり英国に逆輸入されるまで時間を要したようです。ズボンが正装用でも認められるように成ったのは1820年頃と記憶しています。
 
やがて1870年代になるとダブダブな形から布地を選んだり、シルエットに改良が加わったり、同じころ普段着として一般に定着し始めた背広と組み合わされ、ヨーロッパに広がります。男性の近代モードが形作られ150年。ゆったりシルエットや裾広がり、細身のシルエットと何度も繰り返し現代へと来ています。
 
しかしその時代、時代で通り過ぎた形かもしれませんが、特に紳士服などは完成度が高いですから現代風にコーディネートしてみるのもモダンかな?などと思う事が有ります。
その人にあったシルエット、着心地の良い服地など、一度フィードバックして探してみるのも大人ならではの楽しみ方、センスではないでしょうか。
例えばクラシックカーに憧れを持つようにね!
 
日本もそんなファッションを楽しめるくらい成熟してきてるのではないでしょうか?

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