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日記アーカイブズ
トワルさんの新着日記
2015/04/13 19:43:29
美とは…77
ひでさんのつぶやき
数年前になりますが、若い女性のやりすぎとも思える目の化粧、それを見て私はよくエジプトの壁画を思い出していました。
当時のファッションだったかもしれませんが、メイクupかな?メイクdownでは?などと思い、メイクアップの歴史や本来どの様な目的、意味が有ったのか、アジアとヨーロッパの違いは?などと、絵画や壁画、歴史書を見、読んだ事が有りました。
メイクアップらしきものが見られるのは、紀元前4000年のエジプトですが、特にアイラインは光線除け、虫除け、魔除け的な目的で始まったようです。
現代と違い、薬や医療手段の無い時代ですから、病気、怪我又は死は、悪霊が、入口となる耳、目、口などから体内に入り込むことで生じる災いと信じられていたからでしょうね。宝石をネックレス、イヤリング、ブレスレット、リングの型でお守りとして身に付けたことと一緒ですね。
やがてこのアイラインは目を際立たせたり、神秘性を高めたりと、実用性と美しさも兼ねて使われるようになり、ギリシャやローマにも受け継がれ、アジアまで広がりますが、ヨーロッパにこの化粧は見当たらないのです。
なぜでしょう?舞台化粧のドーランと同じ、遠い国の特殊な化粧、特殊な風習の化粧でしかなかったのでしょうね。むしろ下品な行為と見ていたようです。
18世紀になってから、ロシアのバレエ公演(アラビア風組曲)が話題を呼び、オリエント趣味が引き金となり、アイライン、アイシャドーが注目される様になったようです。それでも、夜の仕事やもっと特殊な女性のもので、この感覚は日本の遊女の目尻に紅をさす行為と似ていますね。目には魔力が有り、彼女らは、それを最大限に生かそうとしたのでしょう。
この様なルーツのアイシャドーやアイライン、定着するのは20世紀中頃になってからでしょうか。歴史は浅いですね。それにしても舞台化粧以外、夜のパーティーでもなく、ましてお昼の町歩きでアイライン、ツケマツ毛、シャドー、というのは外国では見られない光景です。やりすぎると、外国の方に特殊なご職業と間違われないともかぎりませんよ。
数年前になりますが、若い女性のやりすぎとも思える目の化粧、それを見て私はよくエジプトの壁画を思い出していました。
当時のファッションだったかもしれませんが、メイクupかな?メイクdownでは?などと思い、メイクアップの歴史や本来どの様な目的、意味が有ったのか、アジアとヨーロッパの違いは?などと、絵画や壁画、歴史書を見、読んだ事が有りました。
メイクアップらしきものが見られるのは、紀元前4000年のエジプトですが、特にアイラインは光線除け、虫除け、魔除け的な目的で始まったようです。
現代と違い、薬や医療手段の無い時代ですから、病気、怪我又は死は、悪霊が、入口となる耳、目、口などから体内に入り込むことで生じる災いと信じられていたからでしょうね。宝石をネックレス、イヤリング、ブレスレット、リングの型でお守りとして身に付けたことと一緒ですね。
やがてこのアイラインは目を際立たせたり、神秘性を高めたりと、実用性と美しさも兼ねて使われるようになり、ギリシャやローマにも受け継がれ、アジアまで広がりますが、ヨーロッパにこの化粧は見当たらないのです。
なぜでしょう?舞台化粧のドーランと同じ、遠い国の特殊な化粧、特殊な風習の化粧でしかなかったのでしょうね。むしろ下品な行為と見ていたようです。
18世紀になってから、ロシアのバレエ公演(アラビア風組曲)が話題を呼び、オリエント趣味が引き金となり、アイライン、アイシャドーが注目される様になったようです。それでも、夜の仕事やもっと特殊な女性のもので、この感覚は日本の遊女の目尻に紅をさす行為と似ていますね。目には魔力が有り、彼女らは、それを最大限に生かそうとしたのでしょう。
この様なルーツのアイシャドーやアイライン、定着するのは20世紀中頃になってからでしょうか。歴史は浅いですね。それにしても舞台化粧以外、夜のパーティーでもなく、ましてお昼の町歩きでアイライン、ツケマツ毛、シャドー、というのは外国では見られない光景です。やりすぎると、外国の方に特殊なご職業と間違われないともかぎりませんよ。