午前中の日記の続きですが、独りぼっちになったのが平成3年の暮れでした。バブルも崩壊して、下り坂に入っていく頃、まあ就職氷河期の幕開けの時期かなあ?倒産する会社も出始めて、長時間労働で過労死、また、たしか自殺者も3万人をはるかに超え始めた時期だったかなあ?こんな状況の時で、経営コンサルタントの人も、ほぼ商売素人の私に、やったほうがよいとも言えなかったんだろうねえ?今冷静に考えればわかりますが、わかっていても、あの状況ではやっていたように思います。まあ物理的にいって、今まで両親と3人でやってきた病院、老人ホームの納めを全部こなせれば、返していける計算ですが、絶対無理だったですが、どこまでできるか試して、足りない分、店で頑張ればいいかという考えでした。何から始めたらよいかいらいらした時、あの霊感師の仲間にたばこを吸えば、落ち着くよ!ただし、イライラがピークに達した時で、のべつ幕なしに吸っては駄目というアドバイスで、結構落ち着いたことを思い出します。まあこの教えで、絶対自殺はダメ、あとあとが大変だよと、意味深く言われたことも忘れません。じゃとことん働いて、過労死だったら、いいだろうと考え、ただただ夢中で我武者羅に働いたことを思い出します。でも1年経っても、2年経っても、死なずに仕事をしてる私。何でと思いました。こんだけやってもなんで体に異常が来ないんだろうと、健康診断を受けた記憶がありますが、全体的に数値は高いが、またちょっと標準から出てるところもあったが、まったく異常なしでした。何でみんな過労死で死ねるんだろうと本気で考えた時期もありましたが、生きれるんだったらこのままいこうと、この生活を続けていました。このまま商売を続けていきたかったら嫁をもらわないと、社会的に認められずに銀行から信用もしてもらえないという理由で、前にも書いてる日曜日のダブルヘッダー、トリプルヘッダーのお見合い攻勢を軽く50回をはるかに超える回数をかけたが、なかなか決まらずに、ひょんなことで決まり、すぐに子供が生まれたが、これから先の2~3年ぐらいの健康状態の方が悪かったです。はっきり言って、食生活の急激な変化だったです。これだけ無茶苦茶の生活をやってましたので、当然体調を崩すこともあったが、熱が39度を超えていても、変わらずに仕事をして、ゆっくり休むというか寝込んだことは、両親が亡くなってから一度もないと思います。まあだらだらとして半日潰したことはあったが、完全に1日2日と寝込んだことはないと思います。もう記憶から飛んでいるのかなあ?両親が亡くなり今日まで、検診でひっかかり一度だけ病院に行ったかなあ?また歯医者には月2~3回は30代のころからずーっと行ってますが、薬というもの、歯医者の痛め止めを2~3回使ったきりで、あとは薬というもの使ったことがありませんねえ。当然サプリも使いませんし、栄養ドリンクも全然飲みません。自分の体を信じ、薬に頼らず生きてきたことが、よかったように思います。薬では絶対病気は治りませんよ。最後に直すのは自分自身の体と思います。逆に薬は、病気を作っているように思えてきました。ちょっと薬を服用しただけで、血圧が20~30は軽く上がるそうです。まあ私は普段で上が110台、下が60台ですから、なんか薬を飲むとすぐに130~140になり高血圧のレッテルを付けられるのかなあ?こんな感じの人もかなりいるような感じがして仕方ありませんねえ。とにかく私は子供時代の薬中毒がトラウマになっていて、薬は飲みたくありませんねえ。これも倒れなかった原因の一つと言って、間違いないかもね。