新加盟店

e-Life 現住所/山形市 :山形市漆山2403-3

自己紹介
こんにちは。  はじめまして。
  山形ムツ電の 「e-life」と申します。(^‐^)ゝ

この夏、
 大勢のみなさまが、一番気にしているのが、「節電・省エネ」について。

第一位
「節電・省エネのための工夫・アイデアに関する情報」
第二位
「節電・省エネができる商品やアイテムに関する情報」
第三位
「今年の夏を乗り切るための情報」

これからも 皆様のお役にたちそうな情報をお届けいたしますので
 ご活用くださいね~ !!

関連店舗

山形ムツ電 株式会社

  • 店舗/発信者情報
  • お知らせ一覧
  • お得・クーポン情報

e-Lifeさんの新着日記

2012/01/23 08:25:42
世界の成人式 ニュ-ギニア 編
以下 「英考塾  現代に思い、未来を想う」より転記


「日本の成人式は『楽』だね。
20歳になったら、たった一日で成人になれるなんて。」

そう語るのはパプア・ニューギニアの「フリ族」の男たちだ。
彼らが「成人」になるには、10年間にも及ぶ「下積み修行」と、
最低2年間の「成人修行」が課されるのである。

「僕らは独立するのにも、土地をもらって家を建てるのにも、
『地域の許し』が必要なんだ。
そのためには『厳しい修行』を積んで、
『一人前の大人』として認めてもらわなければならないんだよ。」

いったい、彼らは成人になるためにどんな修行をするのだろうか?

遅くとも10歳くらいになると、
子供たちは『修行の家』で共同生活を始める。
炊事も学べば、畑作りも学ぶ。
密林を一週間以上もさまよいながら、狩りを覚えたりもする。
戦(いくさ)のやり方も学ばなければならない。
パプア・ニューギニアには800以上もの部族がいて、
他部族との抗争も少なからず発生するのである。

戦(いくさ)において、
戦闘以上に重視されるのが「相手との駆け引き」だという。
「最後まで戦ったら、お互いの村が滅びてしまうからね。」
戦(いくさ)の「終わらせ方」が何よりも大切なのである。

この子供時代の修業は、およそ10年間にも及ぶ。
そして20歳前後になると、
ようやく成人に向けた修行に入ることが許される。

「キナ貝」と「ブタ一頭」を部族の長老に差し出すことから修行は始まる。
「キナ貝」はかつてお金として使われていた時代の名残りで、
「ブタ」は現在でもお金のようなものである(有力者ほど多くのブタを持つ)。

そして、ここからの修行こそが「フリ族」を「フリ族」たらしめる修行となる。
その最も特徴的なのが、
「カツラ」を作ることである(カツラの部族とも呼ばれる由縁だ)。

成人修行の2年間、髪を切ることなく伸ばし続けるので、
その頭は巨大なキノコのように立派に育つ。

「フリ族にとって、カツラは『魂』なんじゃ」、と長老は語る。
成人修行中に大切に生やした自分の髪の毛から、
一生もののカツラを作るのである。
そして、そのカツラは『魂』でもあるため、
大切に、大切に育てなければならない。

毎日3回、呪文を唱えながら聖なる水を髪の毛に与え続け、
強く美しい髪の毛が生えることを祈る。
そして、クシを使って毎日丹念にゴミ取りも行われる。
良い形を維持するためには、寝グセなどはもっての外(ほか)。
巨大なアフロヘアーがペシャンコにならないように、
木の枝を枕として、
髪を空中に浮かしたまま寝なければならない
(首が痛くて、2年間よく眠れないとのこと)。

もし、髪が乱れるようなことがあれば、
修行は「一からやり直し」となる。
髪を切り、ブタを持って長老に許しを乞わなければならないのだ。

立派なカツラづくり以外にも、
成人修行で学ぶべきことは多い。

村人たちの薪を作らなければならなかったり、
一人で畑を管理しなければならなかったりする。
こうした作業を通じて、
他人への「思いやり」や仕事に対する「責任感」を体得していくのだそうだ。
また、成人修行の期間中、「女性」との接触は完全に絶たれる。
母親に会うことも許されず、
女性のことを考えることすら禁じられる
(フリ族の男女は、基本的に別々に暮らすのだという。ちなみに、女性に成人修行はない)。

「天知る地知る」とも言われるが、
修行がちゃんと行われているかどうかは、
「一枚の葉っぱ」にすべてが現れる。

成人修行に入るとき、「この葉っぱがお前の『鏡』だ」と言われて、
一枚のショウガの葉っぱが、その人の修行を見守ることになる。
もし、その葉っぱに「穴」など開いてしまえば、やはり修行は「やり直し」となる。

2年間の修業が見事に認められれば、
伸ばし続けた髪の毛を切って、
カツラをつくることが許される。

切り取られたカツラは、形が崩れないように長老自らが糸で補強してくれ、
2年間大切に育ててきたカツラは、こうして「魂のカツラ」となる。

以後、そのカツラを毎日頭に載せることが許され、
晴れて成人と認められるのである。

かつての日本にも、通過儀礼としての成人儀式が存在した。
「元服(げんぷく)」というのは、もともと頭(元)に着ける(服)という意味で、
「烏帽子(えぼし)」を頭に着ける儀式であったのだという。

それが武家において、前髪を剃る儀式へと変わる。
月代(さかやき)という前髪を剃った髪型は、
兜をかぶる武士たちの頭が蒸れないようにするためでもある。

女性たちには、髪を結い上げる「髪上げの儀」が成人を意味したようだ。

この点、パプア・ニューギニアのフリ族と少なからぬ共通点がある。

どちらも「頭」が重要であり、髪を剃ったり、頭に何かを載せたりしている。
これらは「頭部装飾型」と言われる通過儀礼(イニシエーション)である。

身体に明らかな変化を加えることで、
自他ともに成人となったことが明確化されることになる。

今の日本では、成人への儀礼は完全に形骸化しているものの、
日本の歴史を遡れば、
やはりフリ族と同じように「成人への試練」が課されていたことも分かる。

たとえば神話において、
大国主(おおくにぬし)は成人となるまでに「2度死んでいる」。
子供時代、大国主の名前は「大穴牟遅(おほなむじ)」と言ったが、
大穴牟遅は赤く焼けた巨石で焼け死に、
巨木に挟まれて圧死している(幸いにも、2度とも再生する)。
それだけでは済まず、蛇や蜂のいる部屋に閉じ込められたり、
背後から火矢を放たれたりと散々である。

こうした試練を全て乗り越えた末、
大穴牟遅は成人として認められ、
「大国主」の名を与えられることとなるのだ。
この神話にも見れれるように、成人するということには、
一度死んで再び生まれ変わるという「死生観」が少なからず付きまとう。

時代が違えば、「生きる」ということが今ほどに容易ではなかったであろう。
成人するまでに死んでしまうということも、少なくなかったのではなかろうか。

そういう意味では、成人するということは本当に死を乗り越えたということを意味し、
一人で生き抜いていける強さを身につけたとも考えられる。
逆に考えれば、あえて試練を課すというのは、
より豊かになった証拠でもあろう。
さらに豊かになった日本は、
あえて試練を課すということもなくなった。

我々には生き残るために成人する必要はなくなり、
一生を子供のままに暮らすこともできるようになったのである。

その是非を問うことはできない。
その是非は歴史が証明することであり、
大自然が試すところでもある。

ただ言えるのは、
社会が成人になることを積極的に手助けしてくれなくなったことは確かである。
我々日本人が成人になったという自覚を得るには、
自分の力でそれを成すより他にはない。

その点、強制的にでも強さを身につけさせてくれるフリ族の社会の若者たちは、
幸運なのかもしれない。

ページトップへ