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タケちゃんさんの新着日記

2010/09/24 11:18:00
私の好きな最強武将列伝 第四回
 
 一年半のお待っとでした!
今年の社員旅行が
奈良に決まった事もあり、
奈良(当時の大和国)
出身とされる私の好きな武将を、
紹介させて頂きたいと思います。
その人物とは・・・

   島 左近(通称) 
 1540?〜1600?

 ご当地ゆるキャラの 
?しまさこにゃん? 
としても有名な 島左近 が、
今回の主人公であります。
しかし・・・ ?ゆるキャラ? 
って何なんでしょうね・・・
わたくしは戦国武将を 
?ゆるキャラ? 
などと言う
?ぬる〜いキャラクター? 
として登場させるのは、
いかがなものかと思っていました。
 命を懸けて、国を!主君を!
民を!守ろうとしてきた
武将の方々に対して、
これは(ゆるキャラ)どうかと。
・・・しかーし!!わたくし最近、
?かねたん? 
とばったり会ってしまいました。
 あっ、?かねたん?とは、
山形県米沢市の
?ご当地ゆるキャラ?
でモデルの武将はそう!
直江兼続その人であります。
出会った瞬間、わたくしの頭の中を
電流が・・・こう・・・
ビガッ!ビガァーッ!っと
走りまして、思わず
「萌えっ!萌えっ!
    萌えぇぇぇぇっ!!」 
と絶叫し、興奮してしまいました。
その姿の可愛いのなんの。
とても言葉では言い表す事の
できないくらいで。
群がるちびっ子達に混じって
?かねたん?
の頭部らしき所を
撫で撫でしてる時、
わたくし、こう思うたのであります。
「あっ・・・これもありだな・・・」と、
それ以降、?ゆるキャラ? 
大好き人間として
生きております。
話が、だいぶ反れてしまいました。
ごめんちゃい。
それでは、島左近の
生涯を見てまいりましょう!
島左近は大変謎の多い人物
として知られております。
出生は大和国(今の奈良県)の
ようですが、生まれた正確な年代は
わかっておらず、亡くなった年も
はっきりとは分かっておりません。
亡くなった時、所の話はミステリーとして
最後の所でも少し触れますので、
お楽しみに。

大和国で勢力を誇っていた 畠山氏 に
島家(島左近)は仕えていました。
ところが、同じように勢力を誇っていた 
三好家 に畠山氏は
敗れてしまいます。
その時、畠山氏側の 筒井順政 の指揮
のもとで戦っていた事が縁で、
島左近は筒井家に仕える
事となります。
この時の時代背景を分かりやすく言うと、
織田信長が桶狭間の戦いで今川義元
に勝利するちょっと前位の話です。
話を戻しますと、
島左近は筒井家に仕えますが、
その当主 筒井順政 が
亡くなってしまいます。
順政の後を継いだのはその息子の 
筒井順慶。
実はこの時、筒井順慶の年齢は
僅か2歳です。
「に・・2歳!??」と驚かれる方も多い
と思いますが、当主の選んだ後継者が
後を継ぐというのは、
当時普通の事でした。
しかし、2歳では筒井家を守る事など
出来るはずがありません。
何が起こるかわからない戦国時代。
もしかしたら、筒井家を乗っ取ろうと
する親類縁者や他の豪族達が、
いつ襲ってくるかも分かりません。
そこで!島左近はじめ、筒井家に仕える
側近の武将達が ギロッ! っと
目を光らせて、2歳の順慶を守り、
盛りたてていった訳です。
とは言っても、よほどの義理堅い
男でなければ勤まらない話
だと思うのです。今の時代にすれば、
先代の社長がなくなり、
後を継いだのが
僅か2歳の若社長ですから。
先の戦い(畠山氏VS三好氏)で
筒井家にそうとうの
恩義があったのでしょう。
ここに惚れた!話 その壱 
  筒井家の両翼! 「右近・左近」
月日は流れ・・・
筒井家は
戦をすることになります。
(まぁ、戦国時代ですから
当たり前みたいなものですが・・)
相手は 松永秀久。
ここに 筒井家VS松永秀久 
の戦いの幕が
切って落とされた!!
・・・のですが・・・筒井家は
敗北してしまいます。
おまけに城まで燃やされて、
何にも無くなってしまいました。
トホホ・・・。
さらに秀久の勢いは衰えを知らず、
大和国は秀久の手に!
もう筒井家は終わりかと
思われましたが、島左近はしっかりと
順慶のそばにおり、大将 筒井順慶 
を励まし続けていたのです。
やがて時が動き出します。
織田信長の登場です!
勢力の拡大を続ける信長と、
松永秀久が衝突!戦へと発展。
筒井順慶はもちろん織田側につき、 
見事!秀久に勝利!! 
大和国?奪還?
に成功します。やったぜ!
この時の目覚しい活躍から、
同じ筒井家家臣であった 
松倉重信(通称→右近) と共に
「筒井の両翼 右近左近」 
と称され、絶賛されたのです。
存亡の危機に直面しながらも主君を信じ、
従い、守り続けた義の心・・・
ここに惚れた!

やがて、またまた月日が流れ、
1584年の8月。
突如、悲しみが左近を襲います。
苦楽を共にしてきた主君 筒井順慶が
36歳の若さで他界してしまったのです。
原因は病死。
後を継いだのは、
養子の 筒井定次 でした。
しかし、左近と定次の関係は
上手くいかず、やがて左近は筒井家を
離れてしまいます。

ここに惚れた話 その弐  
      石田三成との出会い

筒井家を離れた島左近。
浪人(現在で言うと無職)
の身となってしまいましたが、
?筒井家の翼?
とまで言われた人物を、
誰も放っておくはずがありません。
様々なところから誘い(オファー)の話
が舞い込んできます。
現代でしたら 
シアトルマリナーズ の 
「イチロー」 
が、大リーグを突然辞めて
日本に帰ってきて、
プラプラしてる状態でしょうか。
何処の球団もイチロー獲得に
必死で名乗りをあげるでしょう。
しかし左近は
片っ端から誘いの話を
断り続けます。
持ち前の義理堅さが
そうさせたのでしょうか・・・
『俺の主君は生涯 順慶様であった』
と言わんばかりに断り続けるのです。
そんな頃、
島左近と石田三成は出会います。
三成もまた、他の者たちと同じように
左近を自分のもとに「来てくれ」と
誘いますが、左近はこの申し出を
断り続けていたようです。
それでも必死に食い下がる三成。
やがて左近は説得に負け、
石田三成の家臣となる事になりました。
ここで、どれほど三成が左近を
欲しがったのかが、垣間見える
逸話があります。
当時はもう豊臣秀吉の時代
になっていました。
秀吉の家臣である三成も
近江国(滋賀県)を与えられる
一国の領主となっていました。
三成の石高は4万石※。
そしてなんと、三成はその
半分の2万石
で左近を召抱えたと
伝わっているのです!
今で言えば、
「会社の利益半分やるから、
家臣になってくれ」
に近い事だと思います!
※石高とは・・・土地(田畑)等の
生産性を石(こく)という単位で表したもの。
領地の規模は面積でなく
石高(こくだか)で表された。

あの超メジャー級武将 石田三成 
にここまでさせるとは・・・
ここに惚れた!

ここに惚れた話 その参 
   「三成に過ぎたるものが・・・」
一度家臣になると決めたら
元来の義理堅さも手伝って、
左近は三成のために
怒涛の働きを見せます。
石田家の筆頭家老を務め、
城下の湖に橋を架け、
戦となれば石田軍の総司令官
として指揮を振るい
おまけに、
(これは失敗に終わってしまいますが)
?徳川家康暗殺計画?!
まで企てるなどなど。
政治・軍事において遺憾無くその才能を
発揮させ、三成の右腕として動きます。
石田三成が超メジャー級武将に
なれたのは、
「島左近がいたから!」
と言っても過言ではないでしょう。
その証拠に、
こんな言葉が語り継がれています。

 『三成に過ぎたるものが二つあり、
      島の左近と佐和山の城』

・・・・クゥーーーッ!
ここに惚れた!

島左近の最期?
石田三成で
何を思い出すかといえば、
「関ヶ原の戦い」
という方も多いのでは
ないでしょうか。
慶長五年 1600年 10月 
石田三成(西軍)と
徳川家康(東軍)は
関ヶ原で激突します。
島左近はもちろん西軍として、
陣頭に立って奮戦します。
しかし、東軍・黒田長政の鉄砲隊に
銃撃され負傷してしまいます。
いったん自陣内へ引き返しますが、
戦況の流れがいっきに東軍へ傾いた
と知ると、死を覚悟して再び出陣!
「かかれー!!」
の声とももに黒田軍へ
真正面から突撃して行きました。
左近は奮戦しますが、
最期は無数の銃弾に身体を貫かれ
?討ち死にした?
と伝えられています。
左近の最期の奮戦は敵軍の間でも
語り草となり、黒田軍の兵士達は
関ヶ原の戦いから数年経っても、
左近の悪夢に襲われたと
伝えられています。
夢の中で左近が発した
「かかれー!!」
の声と鬼のような形相を思い出し、
布団から飛び起きた。
というものでした。
それから人々は左近を
?鬼の左近?
というようになります。

・・・・しかし、ここからが
歴史ミステリーのはじまりです。
「実は島左近は関ヶ原では
死んでいないのではないか?」
というものです。
この話の根拠になったのは、
「関ヶ原の戦場から
左近の遺体が見つかっていない」
というもの。
しかも、長崎県をはじめ、
全国の至る所に
?島左近の墓?
がある事が分かってきました。
墓にある命日も
1600年〜1632年
とバラバラ。
なぜこのような事が
起こるのかは
分かりませんが、
わたくしはこう思うのです。
確かに島左近は関ヶ原に散ったのです。
しかし、これほどの武将を
むざむざ死なせるわけにはいかない!
との人々の思いが、悪夢の話しかり、
至る所に墓がある等の話となって
現在に伝わり、
残っているのではないかと。
それほどすごい武将だったっ
て事ですね!

長々と読んで頂き
ありがとうございました。
また次回をおたのしみに!

参考資料 ウィキペディア 「島清興」
                  「石高」
       島左近〜平郡谷の驍将〜

 新星出版社 「戦国時代」



元記事:http://leon-chitose.jugem.jp/?eid=149

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