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2017-05-15 20:24:04 一覧に戻る
ズボンの今と昔
前回のつぶやきではズボンやスカートの起源についてふれてみましたが、ではヨーロッパにおいてズボンはどのように普及したのだろうと歴史をさかのぼってみたことがあります。
どうにもローマ時代末期にアジアから伝わったというのが定説らしく、その窓口となったのが東亜時代の接点となったコンスタンティノープル(のちのイスタンブール)です。
しかし当時のヨーロッパ、特に貴族階級は野蛮な変な服として目もくれず、むしろその機能性、保温性に目をつけたのは下層階級の人々だったようです。そしてその人達によって西側に伝えられたと考えられています。
その後、中世末期から貴族のファッションはホーズとかショーズというピチッとしたタイツ状のものになりますが、ルネッサンス期になるとタイツの上から今で言うサーカスのピエロの半ズボンあるいは女性のブルーマーもどきのものをはき、詰め物をしてふくらませ、リボンのアクセサリーを付けたり、はたまた男性をアピールするために一部分を強調させるふくらませ方をし、さらにはその大きさを競い合うというお下劣なズボンスタイルが16世紀まで続いたそうですよ。
しかし1720年、ヨーロッパの30年戦争の頃より兵士の間ではゆったりとした長ズボンが本格的に使用され始めます。詰め物をしたブリーチズなどでは肉弾戦などやってられませんからね。
しかし戦いや労働者とは無縁の上流階級の男たちにとって長ズボンはやはりむさ苦しく、卑しい下流階級の服に変わりはなかったのでしょう。相変わらずの半ズボン(キュロット)で、今度は体のラインがそのまま出るような窮屈な服へと変わっていきます。
当時の社会学者・メルシェも「イチジクの葉をまとったアダムの方がはるかに上品」と言ったとか?
やがてフランス革命が起こり今のようなパンツのスタイルが定着(革命の中心となった労働者のスタイルがシャツやスーツのほか、もちろんパンツの基となる)することになります。
ズボンひとつをとっても、ファッションって面白いですね!現代の我々のファッションも長い歴史の中の一風俗ですから、未来では笑い話になることをしているのかも?いや、すでになっている着こなしやスタイルがある……?
どうにもローマ時代末期にアジアから伝わったというのが定説らしく、その窓口となったのが東亜時代の接点となったコンスタンティノープル(のちのイスタンブール)です。
しかし当時のヨーロッパ、特に貴族階級は野蛮な変な服として目もくれず、むしろその機能性、保温性に目をつけたのは下層階級の人々だったようです。そしてその人達によって西側に伝えられたと考えられています。
その後、中世末期から貴族のファッションはホーズとかショーズというピチッとしたタイツ状のものになりますが、ルネッサンス期になるとタイツの上から今で言うサーカスのピエロの半ズボンあるいは女性のブルーマーもどきのものをはき、詰め物をしてふくらませ、リボンのアクセサリーを付けたり、はたまた男性をアピールするために一部分を強調させるふくらませ方をし、さらにはその大きさを競い合うというお下劣なズボンスタイルが16世紀まで続いたそうですよ。
しかし1720年、ヨーロッパの30年戦争の頃より兵士の間ではゆったりとした長ズボンが本格的に使用され始めます。詰め物をしたブリーチズなどでは肉弾戦などやってられませんからね。
しかし戦いや労働者とは無縁の上流階級の男たちにとって長ズボンはやはりむさ苦しく、卑しい下流階級の服に変わりはなかったのでしょう。相変わらずの半ズボン(キュロット)で、今度は体のラインがそのまま出るような窮屈な服へと変わっていきます。
当時の社会学者・メルシェも「イチジクの葉をまとったアダムの方がはるかに上品」と言ったとか?
やがてフランス革命が起こり今のようなパンツのスタイルが定着(革命の中心となった労働者のスタイルがシャツやスーツのほか、もちろんパンツの基となる)することになります。
ズボンひとつをとっても、ファッションって面白いですね!現代の我々のファッションも長い歴史の中の一風俗ですから、未来では笑い話になることをしているのかも?いや、すでになっている着こなしやスタイルがある……?