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2016-02-23 11:12:53 一覧に戻る

写真は綿100%イタリー製プリントを一重仕立てのジャケットにしてみました。 バーバリー、インドシルク、コーティング素材など、少し張りのある布地がおすすめです。 只今、冬物一掃セール中です。

投稿者/トワル

つくづく思います。
 
分かり切っている事ですが、私たちの歴史は、衣・食・住、の発展の歴史だと。
それはこれらいずれもが人間の営みの中での最も基本的な行為だからでしょう。
中でも衣は、特に創造的な行為かもしれません。
食は生命を維持することから、いかに美味しく調理するか、
住は身を守ることから、いかに住みやすい空間にするか。

しかし衣は他と違い遊びや無駄が多く、身を守ったり防寒目的だけならば、
それを集中的に改良すれば済むことなのですが、
時間と費用をかけて飾り立てたり、巻けば良いスカーフの結び方に頭を悩ませたり、
実用面からいってもネクタイや白粉、口紅などの化粧具、アクセサリーも同じでしょう。
これらは無くても我々の営みに支障が生じるわけでもなく、
事実これらの行為を必要としていない人々も世界には無数にいるわけです。
 
でも我々は一見有益とは思えない、
むしろ徒労な作業と分かりながらも服飾に熱を上げてきました。
ヨーロッパの貴族のように半日もかけなければできないネッカチーフの結び方を考案したり、
ラフと呼ばれる窮屈なエリマキトカゲのような巨大な襟飾りが流行したり、
拷問のように締め上げるコルセットで死亡したり、
滑稽とも思われるものが最新モードとなったり・・・・と。
 
それらは他ならぬ衣というものが食や住と違い
他人に見せる、見られるの双方向の文化である表裏一体にあることと関連しているからでしょうね。
さらに長い歴史を経てマナーや常識が定着。
場所によりそれらを踏まえなければ野暮、下品、となり、下手をすれば恥をかく道具となってしまったり、
装う人の格式、人格を表す道具となったりもしています。
それほどに服飾というものは他と自分の間のコミュニケーションツールになっているということでしょう。
 
服飾で人を見ることはできませんが人間性が服飾にも出てしまうことは否定できないことだと思います。

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